日本の政治家三村 申吾みむら しんご
内閣府地方創生推進室より公表された肖像
生年月日 (1956-04-16) 1956年4月16日(68歳)
出生地 日本 青森県上北郡百石町
(現・おいらせ町)
出身校東京大学文学部国文学科[1]
前職百石町長
所属政党(無所属→)
(新進党→)
(無所属の会→)
無所属
称号文学士(東京大学)
公式サイト ⇒三村申吾オフィシャルサイト
第17-21代 青森県知事(公選)
当選回数5回
在任期間2003年6月29日 - 2023年6月28日
衆議院議員
選挙区青森2区
当選回数1回
在任期間2000年6月25日 - 2003年6月12日
青森県百石町長
当選回数1回
在任期間1992年 - 1996年
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三村 申吾(みむら しんご、1956年4月16日 - )は、日本の政治家。
青森県知事(公選第17・18・19・20・21代)。衆議院議員(1期)、青森県上北郡百石町長(1期)を務めた。
父・三村輝文は元青森県議会議員で、2003年から2011年まで親子で県知事・県議会議員を務めていた。東京大学文学部の同期である妻・三村三千代は八戸学院大学短期大学部客員教授で、専門は国文学、特に古典文学。 青森県上北郡百石町(現おいらせ町)生まれ。青森県立八戸高等学校、東京大学文学部国文学科卒業[1]。東大の同期には、立憲民主党所属の参議院議員杉尾秀哉がいた[2]。大学卒業後、新潮社に入社。文芸編集畑を歩み、畑山博、綱淵謙錠、山口瞳、中沢けいらを担当した。1987年に帰郷し、1990年に生家が経営する株式会社三村興業社の代表取締役に就任。 1992年、故郷の百石町長選挙に、当時百石町を含む旧青森1区選出の衆議院議員だった田名部匡省の支援を受けて出馬し、初当選。1996年には百石町長を辞職し、田名部の後押しを受けて第41回衆議院議員総選挙に新進党公認で青森2区から出馬したが、自由民主党公認の江渡聡徳に765票の僅差で敗れ、落選。その後新進党の解党に伴い、田名部が所属した無所属の会に入党。2000年の第42回衆議院議員総選挙には無所属の会公認で青森2区から出馬し、前回敗れた自民党の江渡を破り、当選した。2001年の内閣総理大臣指名選挙では自由民主党総裁(当時)の小泉純一郎に投票し、野党議員ながら自民党寄りの姿勢を鮮明にした。なお、三村が所属した無所属の会は当時衆議院で院内会派「民主党・無所属クラブ」を結成していたが、無所属の会の三村・中田宏が首班指名で民主党代表(当時)の鳩山由紀夫に投票しなかったため、民主党幹事長(当時)の菅直人が激怒し、三村・中田両名は会派「民主党・無所属クラブ」を除名された(無所属の会には残留)。
来歴
政界進出
青森県知事
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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