三杉淳
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三杉淳

名前
愛称ガラスのエース、フィールドの貴公子[1]
カタカナミスギ ジュン
ラテン文字MISUGI Jun
基本情報
国籍 日本
生年月日6月23日
出身地東京都武蔵野市[1]
身長177cm
体重64kg
選手情報
在籍チームアヤックス
ポジションMF[1] / DF[1]
背番号14、24
利き足右

■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

三杉淳(みすぎ じゅん)は、高橋陽一の漫画『キャプテン翼』に登場する架空のサッカー選手である。血液型はA型。
人物
プロフィール

ポジションはMF・DF。東京都武蔵野市出身[1]。小学生時代は翼に勝る技術を持ち(ロベルト本郷をして「完成している」と言わしめたほど)、キャプテンとしても優れた統率力や戦術眼を持ちながらも、心臓の持病のために数分程度しかピッチに立つことができず[2]、「ガラスのエース」「フィールドの貴公子[1]」などと呼ばれた悲劇の天才マルチプレイヤー。この頃、日向小次郎は小学生全国大会制覇のため、若林源三と三杉を偵察しに行っており、翼が全国的に無名だったのとは対照的に、若林と共に三杉は全国的に名が知られていた。心臓病のハンデ、テクニック、統率力など、全てで翼を上回っていた当時、翼に「勝てない」と瞬間的に思わせた選手であった[3]。ジュニアユース編のアルゼンチン戦で翼と日向が「心臓病さえなければ日本一になれたかもしれない男」と評している。

作中では女性人気が非常に高く、小学生時代から「三杉ファンクラブ」が存在する[4] など親衛隊からは黄色い声援が飛ぶ。中学生時代に元ブラジル代表ソクラテスのように、医師とサッカー選手の夢を両立させることを心に決めた。高校時代は表舞台に立つことなくリハビリに専念していたが、その甲斐あって心臓病はほぼ完治した[1]。以降はブランクを埋めるべく努力し、ワールドユース時代にドライブシュートをマスター。それまではヨハン・クライフに憧れMFとしてプレイしていたが、ユース代表では主にDFとしてプレイ[1]。以降はフランコ・バレージのような名リベロを目指している。背番号はMF時代は憧れの選手であるヨハン・クライフと同じ14を基本的に使用[5]。DFへとコンバートした後はフランコ・バレージと同じ6を主に使用している。ただしジュニアユース時代はコーチも兼ねた選手として活躍していたため、24を使用した。

2001年のJリーグ・FC東京開幕戦では、東京スタジアム(現・味の素スタジアム)の電光掲示板に三杉のアニメ画像が登場した[1]
経歴

東城学園小サッカー部(東城学園小学校[6]) - 武蔵FC[7] - 武蔵中学校[8] - 武蔵医科大学附属高校(テレビ平成版では武蔵高校)- 海南医科大学 - ベルマーレ平塚 (現湘南ベルマーレ) - FC東京
小学生編大会前から翼との対戦を望んでおり、全国大会では翼とフルタイムで戦うために準々決勝まで力を温存する。準決勝で翼率いる南葛と対戦、技術と統率力で翼を圧倒し、翼の戦意を喪失させる[9] ほどの活躍を見せるも後半に心臓の発作を起こしてまともにプレイできなくなり、更に立ち直った翼に4?5で逆転負けを喫する。日本ユース代表が得意とする戦術・オフサイドトラップはこの頃から得意とし、のちに日本ユース代表でも守備ラインを指揮した。
中学生編心臓病の治療に2年間専念し、その甲斐あって3年生時には30分間という制限付きではあるものの、プレイが可能なまでに回復した。最後の全国大会で翼との再戦を強く望み、東京都大会の決勝で日向率いる東邦と対戦する。3点差をつけられ前半途中から出場すると、若島津から2点を奪い、卓越した指示力で日向の動きを完封するなど、ブランクを全く感じさせない活躍を見せるも、試合終盤の日向との競り合いで発作を起こして倒れ[10]、試合終了目前に、無念の途中退場となり2?3で惜敗する。全国大会では南葛の全試合を見届ける。青葉弥生とはこの頃から交際関係に進展した。
ジュニアユース編当初は片桐の計らいにより特例でコーチとして全日本に帯同。ヨーロッパ遠征期間中は見上監督に松山のスイーパー転向や翼の全日本入りをアドバイスした[11]。実力を認めている見上監督の計らいで選手として大会に登録され、アルゼンチン戦とフランス戦に出場、全日本のピンチを救った。コーチとして対戦チームの選手たちのプレーでの癖などを分析し、選手としてそのデータをもとに対戦相手を翻弄した。予選のアルゼンチン戦に途中出場、決勝ゴールを挙げる。この時、三杉のプレーを見たフランスの選手達は「まるでピエールだ!」と驚いていた。フランスとの準決勝では最後の交代枠で途中出場、延長戦に入り制限時間を大きくオーバーするも同じく負傷した若島津と共に最後まで守り抜き、最後は交代枠を使いきったことにより交代が不可能でありながらもPKも決めて日本の決勝進出に貢献したが、決勝戦の西ドイツ戦では出番はなかった。
ワールドユース編高校生活では一切表舞台に立たず、リハビリに専念した結果心臓病を克服。日本の前線には翼はじめタレントが揃っているとの理由から、自らポジションをリベロに下げユース代表に飛び込みで選出される。リハビリの過程でドライブシュートをマスターしており、ワールドユース一次予選のタイ戦で同点ゴールを挙げた。リベロとして守備で活躍を見せるが、相手主力選手に抜かれる場面が目立つなど、このシリーズでは中学生編までの天才キャラが影を潜め、弱体化した印象が強くなってしまった。一次予選から決勝戦まで全試合フルタイム出場を果たしたのは三杉だけである。
ROAD TO 2002大学在学中に、FC東京に入団[12]。ポジションを右サイドに上げ、フライングドライブシュートをマスターし、コンサドーレ札幌松山光と激闘を繰り広げ、結果引き分けた。
GOLDEN-23吉良耕三のもと翼、日向、葵の居ない五輪日本代表の右サイドMFを担当する。岬、松山と共にゲームメイクを担当し、三人の頭文字を取って「3M」と呼ばれるようになる。「3Mは見分けがつかない」とよくネタにされるが、3人のうち三杉だけが茶髪なので、頭髪の描き方(岬と松山は黒ベタ)に着目すると容易に見分けることができる。ワールドユース編では敵主力選手に競り負けるシーンも多かったが、このシリーズでは岬、松山と共に中盤の主力として活躍する。なお、心臓病はほぼ完治しているものの、再発の可能性があると診断されている。
ライジングサン
劇場版
『危うし!全日本jr.』
中学1年時を描いた本作では、医者から10分間という制限付きでヨーロッパ選抜チームとの親善試合出場の許可を得た。試合の後半最後の5分に登場し、1年間のブランクを全く感じさせない動きを見せた他、岬の代わりとして翼とコンビを組み、彼をアシストした。
戦歴

小学6年生

全日本少年サッカー大会ベスト4(3位)


中学3年生

全国中学校サッカー大会東京都大会準優勝[13]

フランス国際ジュニアユース大会優勝


大学1年生

ワールドユース選手権優勝


大学3年生

マドリッドオリンピック出場


得意技
原作に登場する技
華麗なドリブル
高度なテクニックによって相手を抜き去るドリブル。テクモ版では「VS」及び「メガCD」のみ使用。
オーバーヘッドキック
作中では、小学生ながら体をひねって放ちボールにカーブをかける技として披露した(後に登場するローリングオーバーヘッドのそれに近い)。テクモ版では「T」と「W」と「X」のみ使用可能で、カーブはかけていない。
ドライブシュート
ボールに縦方向のドライブ回転をかけて放つシュート。高い弾道で飛び、ゴール付近で急速に落下する。ワールドユース編で心臓病を克服した三杉が披露し周囲を驚かせるが、「この年代では(ドライブシュートを打つことは)決して珍しいことではない」と語っていた。(事実、他にも使い手は複数存在する。)
フライングドライブシュート
ドライブシュートの強化版。どの角度からでも自由にゴールを狙う事が出来、まさしく名前の通り「飛翔する」ドライブシュートである。


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