三木線
西這田駅付近を走るミキ300形
2006年3月
概要
現況廃止
起終点起点:厄神駅
終点:三木駅
駅数9駅
運営
開業1916年11月22日 (1916-11-22)
全通1917年1月23日 (1917-01-23)
三セク転換1985年4月1日[1]
廃止2008年4月1日 (2008-4-1)
所有者播州鉄道→播丹鉄道→
鉄道省→運輸通信省→運輸省→日本国有鉄道→
三木鉄道
使用車両三木鉄道#車両を参照
路線諸元
路線総延長6.6 km (4.1 mi)
軌間1,067 mm (3 ft 6 in)
電化全線非電化
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停車場・施設・接続路線(廃止当時)
凡例
0.0厄神駅
1.0国包駅
1.5宗佐駅
2.0下石野駅
2.6石野駅
4.3西這田駅
5.3別所駅
6.0高木駅
6.6三木駅
神戸電鉄粟生線
美嚢川沿いの田園地帯を走っていた。(宗佐駅 - 国包駅間)廃線跡(宗佐駅)
三木線(みきせん)は、兵庫県加古川市の厄神駅から兵庫県三木市の三木駅までを結んでいた三木鉄道の鉄道路線である。2008年4月1日に廃止された。 西日本旅客鉄道(JR西日本)加古川線厄神駅から分岐し、美嚢川左岸の田園地帯を走り、金物の町である三木までを結んでいた。 元々の開業意図が貨物輸送であり、当時の物流ルートであった美嚢川の舟運を代替する目的で加古川・高砂へ向かって線路が敷かれたため、歴史的な人的交流ルートとズレがあり、1916年の開業当初から旅客輸送は僅少であった。 1937年に現在の神戸電鉄粟生線が開業すると京阪神方面への旅客流動はさらに減り、戦後の貨物輸送廃止後はジリ貧となっていた。このため1968年には赤字83線に選定され、また1981年に第一次特定地方交通線に指定され、1985年に三木鉄道へと転換された[1]。しかし、転換前は加古川への直通列車が主体であったが、転換後は加古川への直通列車もなくなったために一層乗客が減少するという厳しい状況が続いていた。 三木鉄道は長らく営業距離が第三セクター鉄道では最短であったが2002年開業の芝山鉄道にその座を譲った。 経営改善を狙い、北海道旅客鉄道(JR北海道)が開発中の線路と道路の両方を走れるデュアル・モード・ビークル (DMV) を導入して、三木線の終点三木駅から約800m離れている神戸電鉄三木駅の間を直通することも検討していたが、2006年に三木市の財政再建のため「三木鉄道の廃止」を公約に掲げ市長に当選した薮本吉秀が2007年3月1日の市議会で全線の廃止を正式決定し、早ければ2007年度中に廃線とする方針を表明した。4月26日には三木鉄道の取締役会でも廃線が決定された。 7月23日、市長が廃止届けを提出し、2008年4月1日に廃止する予定を表明した[2]。 この決定によって予定通り全線が廃止され、特定地方交通線から鉄道として存続した路線では7例目、うち第三セクター鉄道として存続した路線では5例目、さらにそのうち会社の名前も消滅する全線廃止のケースでは4例目となった。 線内折り返し列車のみ1時間あたり1 - 2本程度の運行で、ワンマン運転を実施していた。交換可能な途中駅はなく全線1閉塞であり、1本の列車が線内を行き来していた。国鉄時代は加古川線直通の加古川駅発着が多く、5時 - 22時の運行であった。 三木線の近年の輸送実績を下表に記す。 表中、輸送人員の単位は万人。輸送人員は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。 年度別輸送実績 三木線の近年の収入実績を下表に記す。 表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。 年度別収入実績
路線データ
路線距離(営業キロ):6.6 km
軌間:1,067 mm
駅数:9駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
閉塞方式:スタフ閉塞式
概要
運行形態
利用状況
輸送実績
年度輸送実績(乗車人員):万人/年度輸送密度
人/1日特記事項
通勤
定期通学
定期定期外合計
1985年(昭和60年)16.15.517.138.7822国鉄から移管・開業。4駅新設。
1986年(昭和61年)12.34.815.632.7631宗佐駅、下石野駅、西這田駅、高木駅開業
1987年(昭和62年)8.33.413.725.4514
1988年(昭和63年)8.04.113.625.7548
1989年(平成元年)8.14.213.025.3545
1990年(平成2年)7.43.912.724.0519
1991年(平成3年)7.13.412.823.3488
1992年(平成4年)6.73.812.422.9479
1993年(平成5年)6.74.413.124.2506
1994年(平成6年)6.23.613.122.9472
1995年(平成7年)6.14.514.324.9509
1996年(平成8年)5.54.113.623.2487
1997年(平成9年)6.83.411.822.0450
1998年(平成10年)6.42.711.820.9434
1999年(平成11年)5.42.912.420.7422
2000年(平成12年)4.62.811.919.3396
2001年(平成13年)4.23.510.818.5361
2002年(平成14年)3.93.210.417.5341
2003年(平成15年)3.63.710.117.4340
2004年(平成16年)3.63.99.416.9331
2005年(平成17年) 17.7
2006年(平成18年) 15.3
2007年(平成19年)
2008年(平成20年) 廃止
収入実績
年度旅客運賃収入:千円/年度運輸雑収
千円/年度総合計
千円/年度
通勤定期通学定期定期外手小荷物合計
1985年(昭和60年)23,733←←←←31,169054,9028554,987
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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