凡例三木重頼
時代室町時代
生誕不詳
死没永正13年2月2日(1516年3月5日)
別名修理亮
戒名作稠山春公大禅定門
墓所禅昌寺 (下呂市)
幕府室町幕府
主君京極高清
氏族三木氏
父母父:三木久頼
子直頼
テンプレートを表示
三木 重頼(みつき しげより)は室町時代の武将。飛騨三木氏の当主。 三木氏は代々京極氏の被官であり、飛騨国益田郡竹原郷の代官であった。 しかし、応仁の乱の最中の文明3年(1471年)8月7日、姉小路基綱との戦いで父の三木久頼が戦死し、重頼が跡を継いだ。敗北した京極氏は姉小路勝言(小島家)と結び、文明9年(1477年)迄には姉小路基綱を破り、飛騨を二分した[1]。重頼も京極家中で勢力を増して所領を拡大し[2]、益田郡の南端の竹原郷から北上し上村に移り住んだ[3]。 永正元年(1503年)7月10日、木曽郡王滝に飛騨勢が侵攻し、木曾義元が戦死した[4]が、時期的に重頼の軍勢と考えられる。(大永8年(1528年)の出来事とする三次資料もある[5])。 永正13年(1516年)死去、跡は三木直頼が継ぎ[3]、17回忌には明叔慶浚が香語を詠んだ[6]。
概要
脚注^ 尋尊『大乗院寺社雑事記』12月
^ 谷口研語『飛騨三木一族』p.40-p.45
^ a b 『飛州志』第6巻 古城部 三木氏略図
^ 『木曽考』
^ 『木曽考続貂』
^ 『明叔記』
参考文献
尋尊 著「国立国会図書館デジタルコレクション 文正9年」、岡村利平 編『大乗院寺社雑事記 第6巻』三教書院、1931年(原著1477年)。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1155221/194
長谷川忠崇 著「国立国会図書館デジタルコレクション 第6巻 古城部 三木氏略図」、辻善之助 編『飛騨叢書. 1 飛州志』住伊書店、1911年(原著1745年)。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765268/98