三木眞一郎
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CMディレクターの「三木俊一郎」とは別人です。

みき しんいちろう
三木 眞一郎

プロフィール
本名三木 眞一郎[1]
愛称ミキシン[2][3]
性別男性
出身地 日本東京都[3][4]
生年月日 (1968-03-18) 1968年3月18日(56歳)
血液型AB型[5]
職業声優
事務所81プロデュース[3][6]
配偶者あり[7]
公式サイト ⇒三木派
公称サイズ(時期不明)[1]
身長 / 体重180 cm / 58 kg
活動
活動期間1989年[8] -
デビュー作神崎操(『ダッシュ!四駆郎』)[8]
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

三木 眞一郎[注 1](みき しんいちろう、1968年3月18日[9][10][11][12] - )は、日本男性声優東京都出身[3][12]81プロデュース所属[3][4][6][12]。既婚。
経歴

昔から芝居が好きで、小学校時代の芸術鑑賞会で、劇団四季の『人間になりたがった猫』を観に行ってその日の夜、熱を出して寝込んでしまったという[13]。学校を巡回していた劇団が来ていた時は、控え室までサインをもらいに行ったこともあり、このことを、その頃から芝居への熱量は高かったという[13]

姉が第一次声優ブームの中にいた人物のため、小学生の頃から職業としての声優は知っていた[14]ヤングサンデーで連載されていた漫画『TWIN』がビデオアニメになる時にしていた読者声優募集に応募[14]。スタジオに呼ばれて現場でオーディションをして、一番セリフの多い役をもらっていた[14]。その時は「声優できたじゃん」と自分の中で思っていたが、それはまだ中途半端な時期で、本気で声優になろうとは思っていなかった[14]

子どものころから声優という職に就く自分の姿が頭にあり、当然のように「できる」と思っていたが、周囲からは「儲からない[注 2]」という理由で反対されていた[8]。当時は映画『刑事物語2 りんごの詩』を見て、武田鉄矢がカッコイイと思い、事務所を調べていた[14]。「何でもいいんで武田鉄矢さんと仕事がしたいんで入れて」とお願いしていたが、「そんなムチャな」と断られていた[14]

中学時代の卒業文集に、将来は「イラストレーターかアニメーターか、声優になる」と書いていたという[13]

高校は三木曰く共学という名前の男子校で、工業高校で、全校で女性は2人だった[14]。高校時代は美術部で部室に閉じこもっており、文化部で唯一部室があり、学校に行って朝部室に行くと、1日出てこず、授業に出なかった[14]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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