三木 清
生誕 (1897-01-05) 1897年1月5日
日本・兵庫県揖保郡平井村
死没 (1945-09-26) 1945年9月26日(48歳没)
日本・豊多摩刑務所
時代20世紀の哲学
地域日本哲学
学派京都学派
研究分野人間学、唯物史観、実存主義
唯物論、歴史哲学
主な概念パスカルに於ける人間
人間学のマルクス的形態
構想力の論理
社会的身体
影響を受けた人物
ゲオルグ・ジンメル
カール・マンハイム
ヴィルヘルム・ディルタイ
フリードリヒ・シュレーゲル
カール・マルクス
ブレーズ・パスカル
イマヌエル・カント
ヴィルヘルム・フォン・フンボルト
波多野精一
西田幾多郎
その他多数
テンプレートを表示
三木 清(みき きよし、1897年(明治30年)1月5日 - 1945年(昭和20年)9月26日)は、(西田左派を含めた上での)京都学派[1]の哲学者、評論家。法政大学法文学部教授。京大哲学科卒。西田幾多郎・ハイデガーに師事。留学中にパスカルを研究、帰国後『パスカルに於ける人間の研究』(1926年)を刊行。戦時中に治安維持法違反で保釈逃走中の知人を支援したことで逮捕拘禁され獄死したが、著書『人生論ノート』(1938年)はロングセラーになった[2][3]。
生涯生誕地たつの市の白鷺山公園哲学の小径[4] にある三木清記念碑
兵庫県揖保郡平井村小神(後の龍野市、現・たつの市揖西町)にて1897年1月5日に誕生する。後に四人の弟と、三人の妹が生まれる[5]。弟の内の一人は中国文学者の三木克己
[6]。旧制龍野中学校に1909年4月に入学し[7]1914年3月に卒業する[8]。第一高等学校[9]から京都帝国大学に進み、西田幾多郎に師事する[10]。大学在学中は西田のみならず東北帝国大学から転任してきた田辺元や左右田喜一郎らからも多くの学問的影響を受けた[11]。また、谷川徹三、林達夫、小田秀人らとの交友がはじまり彼らの影響で和歌を多く詠んだ[11]。特に谷川徹三とは懇意にしており、詩を作るといつも谷川に見せて批評してもらっていた[12]。