この項目では、埼玉県秩父市にある神社について説明しています。東京都世田谷区にある神社については「三峯神社 (世田谷区砧)」をご覧ください。
三峯神社
拝殿
所在地埼玉県秩父市三峰298-1
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度55分31.55秒 東経138度55分49.43秒 / 北緯35.9254306度 東経138.9303972度 / 35.9254306; 138.9303972 (三峯神社)
三峯神社(みつみねじんじゃ)は、埼玉県秩父市三峰にある神社。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。
秩父神社・宝登山神社とともに秩父三社の一社。拝殿の手前には珍しい三ツ鳥居がある。狼を守護神とし[1]、狛犬の代わりに神社各所に狼の像が鎮座している。
祭神
主祭神
伊弉諾尊 (いざなぎのみこと)
伊弉册尊 (いざなみのみこと)
配祀神
造化三神 - 天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、神産巣日神(かみむすひのかみ)の総称
歴史三峰神社付近略図。1938年
社伝によれば、景行天皇の時、日本武尊が東征中、碓氷峠に向かう途中に現在の三峯神社のある山に登って伊弉諾尊・伊弉册尊の国造りを偲んで創建したという[2]。景行天皇の東国巡行の際、天皇は社地を囲む白岩山・妙法ヶ岳・雲取山の三山を賞でて「三峯宮」の社号を授けたと伝える[3]。伊豆大島に流罪になった役小角が、三峰山で修業をし[2]、空海が観音像を安置したと縁起には伝えられる。
三峰の地名と熊野の地名の類似より、三峰の開山に熊野修験が深くかかわっていることがうかがえる。熊野には「大雲取・小雲取」があり、三峰山では中心の山を「雲取山」と呼んでいる。
中世以降、日光系の修験道場となって、関東各地の武将の崇敬を受けた。養和元年(1182年)に、秩父を治めていた畠山重忠が願文を収めたところ霊験があったとして、建久6年(1195年)に東は薄郷(現・小鹿野町両神あたり)から西は甲斐と隔てる山までの土地を寄進して守護不入の地として以来、東国武士の信仰を集めて大いに栄えた[4]。しかし正平7年(1352年)、足利氏を討つために挙兵し敗れた新田義興・義宗らが当山に身を潜めたことより、足利氏により社領が奪われて衰退した。
文亀年間(1501年-1504年)に修験者の月観道満がこの廃寺を知り、30数年勧説を続けて天文2年(1533年)に堂舍を再興させ、山主の龍栄が京都の聖護院に窮状を訴えて「大権現」を賜った[4]。以後は聖護院派天台修験の関東総本山とされて隆盛した。本堂を「観音院高雲寺」と称し、「三峯大権現」と呼ばれた。以来、歴代の山主は花山院家の養子となり、寺の僧正になるのを常例としたため、花山院家の紋所の「菖蒲菱(あやめびし)を寺の定紋とした[4]。
江戸時代には、秩父の山中に棲息する狼を、猪などから農作物を守る眷族
・神使とし「お犬さま」として崇めるようになった。さらに、この狼が盗戝や災難から守る神と解釈されるようになり、当社から狼の護符を受けること(御眷属信仰)が流行った。修験者たちが当社の神得を説いて回り、当社に参詣するための講(三峯講)が関東・東北等を中心として信州など各地に組織された。伊奈忠福(伊奈氏はもともと関東郡代の一族だったが家督争いから一旦名跡取り上げとなり、その後秩父郡の小普請となった)の代に、土地山林を寺に寄進し、広く村人に信仰を勧め栄えたが[4]、明治の神仏分離により寺院を廃して「三峯神社」に改称した。明治16年(1883年)に近代社格制度において県社に列した。明治中期には、社務所に600人が泊まれる施設があり、客のための料理や酒も自家製で賄っていたという[5]。大正末期に秩父宮が参拝したことをきっかけに信徒が全国的に増え、講社数が増大した[4]。
昭和14年(1939年)には、麓から参道に沿って三峰ロープウェイが山頂まで敷設された(2007年廃止)。平成16年(2004年)に社殿を修復した。
境内
社殿
境内
本殿(春日造)
拝殿(権現造)
随身門
小教院
三峯神領民家
神楽殿
報徳殿
お仮屋 - 祭神:眷属の大口真神(お使い神、お犬さま)
日本武尊銅像
遥拝殿 - 奥宮の遥拝所。三峯山下の眺望が広がる
興雲閣 - 宿坊
三ツ鳥居三ツ鳥居
三ツ鳥居は、明神型鳥居を三つ組み合わせた鳥居である。境内入り口に立つ。
他に有名な三ツ鳥居としては大神神社のものが知られる(ただし大神神社は直接見る事ができない)。大神神社の公式ホームページ上には三ツ鳥居の模型が掲載されており、当社のものとほぼ同じ形式である事が確認できる。 三峰山の上に「龍洞」という深い井戸がある。龍神が住むと言い伝えられ、水分神がまつられている[6]。この水を当社にて飲むことができる(有料)。特に大寒に汲まれた水は「寒の水」といわれ、貴重なものとされている(寒の水を頂くには予約が必要)。 奥宮は妙法ケ岳(標高1329m)の山頂に鎮座する。本社からは東南東へ1時間ほど山道を登る必要がある。 山頂には小さな祠とともに秩父宮登山記念碑がある。また、登山道の途中には両部鳥居がある。
神乃山水
奥宮奥宮
摂末社祖霊社
御仮屋(大口真神)
祖霊社(開山以来の歴史の祖霊、勤山者、氏子総代又各地の三峯講社関係者や講元、世話人)