三峡ダム
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三門峡ダム」とは異なります。

三峡ダム

所在地 中華人民共和国 湖北省宜昌市三斗坪
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯30度49分48秒 東経111度00分36秒 / 北緯30.83000度 東経111.01000度 / 30.83000; 111.01000座標: 北緯30度49分48秒 東経111度00分36秒 / 北緯30.83000度 東経111.01000度 / 30.83000; 111.01000
河川長江(揚子江)
ダム湖-
ダム諸元
ダム型式重力式コンクリートダム
堤高185.0 m
堤頂長2309.47 m
堤体積16,000,000
流域面積1,000,000 km²
湛水面積108,400 ha
総貯水容量39,300,000,000 m³
有効貯水容量22,150,000,000 m³
利用目的洪水調節発電水運
事業主体長江三峡工程開発総公司
電気事業者長江三峡工程開発総公司
発電所名
(認可出力)三峡ダム発電所
(22,500,000 kW)
施工業者

葛洲?集団三峡指揮部

湖北宜昌三峡工程建設三七八?営総公司

青雲水利水電?営公司

中国人民武装警察水電三峡工程指揮部

宜昌三峡三?総公司[1]

着手年/竣工年1993年/2009年
備考有効貯水容量は洪水調節容量
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三峡ダム
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各種表記
繁体字:三峽大?
簡体字:三峡大?
?音:S?nxia Daba
注音符号:?? ?|?? ??? ???
発音:サンシア ダーバー
英文:Three Gorges Dam
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三峡ダム(さんきょうダム)は、中華人民共和国長江中流域の湖北省宜昌市三斗坪にある大型重力式コンクリートダムである。1993年に着工し、2009年に完成した。洪水抑制・電力供給・水運改善を主目的としている。2250万キロワット (kW)発電が可能な世界最大の水力発電所である、三峡ダム水力発電所を併設する[2][3]三峡ダム発電所のフランシス水車
概要

ダムは長江三峡のうち最も下流にある西陵峡の半ば(湖北省宜昌市夷陵区三斗坪鎮)に建設された。貯水池は宜昌市街の上流の三斗坪鎮に始まり、重慶市街の下流に至る約660キロメートルに渡り、下流域の洪水を抑制すると共に長江の水運に大きな利便性をもたらす。このダムの建設によって、それまで重慶市中心部には排水量3000トン級のしか遡上できなかったのが、1万トン級の大型船舶まで航行できるようになった[4]。加えて、水力発電所は中国の年間消費エネルギーの1割弱の発電能力を有し、電力不足の中国において重要な電力供給源となる。また、火力発電と比べて発電時のCO2発生も抑制することができる。しかし、その一方で建設過程における住民110万人の強制移住・三峡各地に残る名所旧跡の水没・水質汚染生態系への悪影響など、ダム建設に伴う問題も指摘されている。もともと葛洲ダムと重複し建設の必要性を疑問視する意見もあったが、重慶出身の李鵬首相が反対を押し切ったと喧伝された。
ダムの詳細長江と三峡ダム (Three Gorges Dam) と流域の主な都市・重慶 (Chongqing)、武漢 (Wuhan)、南京 (Nanjing)、上海 (Shanghai) の位置
ダム


通常水位 : 175.0 m

右岸発電ブロックの長さ : 584.2 m

放水ブロックの長さ : 483.0 m

左岸発電ブロックの長さ : 643.6 m

コンクリートの使用量 : 2700万 m3

ダム湖


長さ : 約570 km

通常水位 : 標高175 m

発電所


年間発電量 : 1000億 kWh

発電機の数 : 32基[2][3]

1基の発電能力 : 70万 kW[2]

歴史三峡付近の衛星写真。中央左寄りが三峡ダムと発電所、閘門

三峡ダムの構想は、孫文 (Sun Yat-sen) によるものとされ、1919年に『建国方策』の中で言及している[5][6]。以降、国民党政府により調査が進められたものの、戦争や内戦により実現することなく白紙となった。

国共内戦を経て、1949年中華人民共和国が建国されると、共産党政府は、1950年に長江水利委員会を設置し予備調査を開始した。調査は1956年に完了し、1963年に着工する方針が発表された。しかし、中ソ対立文化大革命、さらには建設反対論などの影響により、しばらく計画は進展しなかった。

文化大革命が終結すると再び三峡ダムの構想が浮上し、1983年には三峡ダム事業化調査報告が提出される。これ以降、三峡ダムの建設を巡り賛否両論が噴出した。1989年、建設反対派の意見を掲載した『長江 長江-三峡工程論争』が出版されると、全人代の議論にも影響を与え着工が延期になると一時表明された。しかし、同年天安門事件が起き同書の著編者戴晴は逮捕され、同書も発売禁止となる。これ以降、建設反対論は抑制され、建設賛成論が勢いを増す。1988年 - 1998年に首相をつとめた李鵬がその中心だったとされる。

1992年、第7期全国人民代表大会(全人代)第5回会議は三峡ダムの建設を、出席者2633名中、賛成1767名、反対177名、棄権664名、無投票25名により採択した。全会一致が基本である全人代において、これほどの反対・棄権が出るのは異例のことであり[7]、当時の民意をある程度反映した投票結果だったとも言われている[8]。同年5月から、建設予定地の住民の移住が始まった。1993年には三峡ダム建設の事業主体となる「長江三峡工程開発総公司」や資金集めのための「三峡証券」が設立された。

三峡ダムの建設工事は、1993年に準備工事が開始され、翌1994年に着工式が行われるとともに、本工事が始まった。1997年11月8日には、長江の本流が堰止められ、第二期工事を開始した。2003年には、一部貯水(水位135 m)と発電を開始し、第三期工事を開始した。そして2006年5月20日、三峡ダムの本体工事が完了した。2009年に発電所等を含めた全プロジェクトが完成した。2012年7月4日には発電所が全面稼働を開始した[9]
年表三峡ダム工事。船舶用の閘門三峡ダムのモデル。右側に船が通るための船舶用エレベーター閘門が設けられる

1919年 孫文、三峡ダム建設プロジェクト提唱


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