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国籍 日本
出身地神奈川県相模原市
生年月日 (1978-06-08) 1978年6月8日(45歳)
身長
体重172 cm
77 kg
選手情報
投球・打席右投左打
ポジション内野手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
神奈川県立相武台高等学校
プレーボール・ベースボール・アカデミー
ミドルセックス・カウンティ・カレッジ
ロンドン・モナークス
カリーナ・レッドソックス
オクレア・キャバリアーズ
ジャパン・サムライ・ベアーズ
パームスプリング・チル
ビクトリア・シールズ
コチェラバリー・スノーバーズ
監督・コーチ歴
ビクトリア・シールズ (2009)
ブロックトン・ロックス (2011)
スーシティー・エクスプロラーズ (2012)
グランドプレーリー・エアホッグス (2013 - 2014)
ソノマ・ストンパーズ (2015 - 2017)
エリザベストン・ツインズ (2018 - 2019)
ガルフコーストリーグ・ツインズ (2020)
フロリダコンプレックスリーグ・ツインズ (2021)
フォートマイヤーズ・マイティーマッスルズ (2022)
ウィチタ・ウィンドサージ (2023)
シンシナティ・レッズ ー ルーキーリーグ (2024)
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三好 貴士(みよし たかし、1978年6月8日 - )は、神奈川県相模原市出身の元プロ野球選手、プロ野球監督、コーチ。かつてアメリカ合衆国のプロ野球独立リーグで選手(内野手)としてプレー。アメリカプロ野球においては日本野球機構(NPB)を経由せずに采配を振った初の日本人監督となった[1]。 2011年はアメリカプロ野球独立リーグの1つであるカナディアン・アメリカン・リーグ(キャンナムリーグ)に所属したブロンクトン・ロックスにて、ビル・バックナー監督、エド・ノートル
経歴
2012年はアメリカプロ野球独立リーグの強豪(2Aレベル)であるアメリカン・アソシエーションに所属するスーシティー・エクスプロラーズにて主に一塁コーチを務めた。
2013年もアメリカプロ野球独立リーグのアメリカン・アソシエーションに所属するグランドプレーリー・エアホッグスにて主に一塁 / 内野守備コーチを務めた。
2014年も引き続きアメリカプロ野球独立リーグのアメリカン・アソシエーションに所属するグランドプレーリー・エアホッグスにて主に一塁 / 内野守備コーチを務めた。また、シーズン終盤には数試合だが三塁コーチも務めた[2]。
日本野球機構(NPB)を経由しないでアメリカのプロ野球にて14シーズン監督やコーチを務めた初の日本人でもあり、アメリカン・アソシエーション (独立リーグ)、パシフィック・アソシエーション・リーグ両リーグにおいて三塁コーチを務めた初の日本人となった。また、メジャーリーグ(以後MLB)にてプレー経験のあるウィリー・ウィルソン(MLB通算19年間プレー。1985年ワールドシリーズ制覇)、ウォーレン・クロマティ(MLB通算10年間プレー)、ダレル・エバンス(MLB通算21年間プレー。1984年ワールドシリーズ制覇)、ビル・バックナー(MLB通算22年間プレー)[3]、スタン・クライバーンのもとでコーチを務めた異色の経歴を持つ指導者でもある。
2015年はアメリカプロ野球独立リーグのパシフィック・アソシエーション・リーグに所属するソノマ・ストンパーズにて三塁コーチ(ベンチコーチ)を務めたが、7月11日に同チームの監督兼選手であるフェランド・レンティーニがリーグから出場停止処分を受けたことにより代行監督に就任。11、12日に行われたホームゲームにて2連勝を飾り、チームを前期優勝に導いた。また前期優勝を決めた12日に監督兼選手であるフェランド・レンティーニが更迭され、13日より正式に監督に昇格。7月は13勝5敗を記録した。また、8月に入りチームの主力選手4人を上位リーグであるアメリカン・アソシエーション、カナディアン・アメリカン・リーグ、フロンティアリーグに移籍させる手腕を発揮した。主力選手の移籍などで8月は10勝16敗と負け越したが、監督1年目の2015年は23勝21敗で勝率.523をマークした。
2016年は前年に引き続き、アメリカプロ野球独立リーグのパシフィック・アソシエーション・リーグに所属するソノマ・ストンパーズにてシーズンを通して監督を務めた。前期(23勝16敗)、後期(24勝15敗)をともに優勝し、シーズンを通して47勝31敗(勝率.603)を記録した。プレーオフなしの完全優勝はリーグ史上初の快挙。また、アメリカプロ野球において日本人監督としては初めてチャンピオンリングを獲得し、シーズン終了後にはリーグの ⇒マネージャー・オブザ・イヤー(最優秀監督賞)を受賞した。
2017年もアメリカプロ野球独立リーグのパシフィック・アソシエーション・リーグに所属するソノマ・ストンパーズにて監督を務めた。昨年に引き続き、チームを前期優勝(28勝11敗)に導く手腕を発揮した。前期28勝はフランチャイズ新記録であり、勝率は.718をマークした。後期もヴァレーホ・アドミナルズと同率首位となる24勝15敗を記録したが、タイブレークの末9月1日に1試合のみのプレーオフを行い、11対8で敗戦。惜しくも2年連続となるシーズン総合優勝を逃す。しかしながら、シーズンを通して52勝26敗(勝率.667)のチームを作り上げた。52勝はパシフィック・アソシエーション・リーグにおけるリーグ新記録となった。(※2014年シーズンにサンラファエル・パシフィックが記録した54勝はアマチュアチームであるイーストベイ・ランバージャックスとの対戦が含まれるためにソノマ・ストンパーズが78試合制において新たにリーグの記録を更新する形となった)[4]
2017年11月9日に昨年に引き続き2年連続となる ⇒マネージャー・オブザ・イヤー(最優秀監督賞)の受賞がリーグから発表される。アメリカプロ野球において2年連続のマネージャー・オブザ・イヤー(最優秀監督賞)受賞は日本人監督初の快挙であり、パシフィック・アソシエーション・リーグにおいても初の出来事となった。また、ソノマ・ストンパーズの監督に就任してからは通算122勝78敗(勝率.610)の成績を残している。
2017年12月24日に正式にメジャーリーグのミネソタ・ツインズとの契約を交わし、2018年1月20日にミネソタ・ツインズ傘下アドバンスルーキーリーグのエリザベストン・ツインズにてコーチに就任することを自身のホームページにて発表した。