三好カントリー倶楽部
Miyoshi Country Club
三好カントリー倶楽部の空中写真。
2007年(平成19年)6月16日撮影の10枚を合成作成。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス
OUTIN
HOLEPARYARDHOLEPARYARD
1442514430
2555524430
3445035555
4443543205
5319554380
6444565570
7552573195
8323084425
9441094470
計363670計363660
東コース
OUTIN
HOLEPARYARDHOLEPARYARD
14400103175
25565115510
34370124420
43165134350
55475144330
64330154355
73170165525
84425173192
94420184425
計363320計363282
その他
公式サイト ⇒三好カントリー倶楽部
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三好カントリー倶楽部(みよしカントリーくらぶ)は、愛知県みよし市黒笹町に広がるゴルフ場である。 1955年(昭和30年)代初め、名古屋の財界で「もう一つ和合があれば」と、名門コースの建設の気運が高まっていた[1]。県有地内に東山(愛知カンツリー倶楽部)があることでの廃止論が囁かれていたことから出たとのことである[1]。 ゴルフ場の建設用地は、名古屋からの距離やアクセス、トヨタ自動車株式会社に近いことから、三好町笹部の共有林が持ち上がった[1]。だが、全域が保安林であったため、低木が植わっている転石の多い丘陵地であった[1]。1959年(昭和34年)12月25日、新たなゴルフ場の建設に向けて「株式会社中部国際ゴルフ倶楽部」が設立され、会長には株式会社松坂屋・佐々部晩穂、社長には株式会社中日新聞社・大島一郎が就任した[1]。 コース設計は、佐々部の提案で「世界レベルのチャンピオンコース」から、英国のゴルフ事情に詳しいジョセフ・E・クレーンに依頼、工事は池田建設株式会社に決定した[1]。1960年(昭和35年)10月11日、「三好カントリー倶楽部」を創立、理事長に大島が就任した[1]。1961年(昭和36年)5月21日、現・西コース18ホールが完成し開場した[1]。その後、1966年(昭和41年)10月9日、現・東コース9ホールを増設、1969年(昭和44年)、現・東コース9ホールを増設し、東コース18ホールが完成し開場された[1]。 コースは、全体的にフェアウェイは広く松林でセパレートされ、豪快なショットが楽しめる林間コース[2][3]。特に西コースは、丘陵地に造られ幅広くゆったりとした起伏が特徴で、池やバンカーが戦略ポイントともなり極めて難度も高く、プロツアーの大きな競技開催に適している風格もあるコースである[2][3]。コースレートも難易度が高く日本でベスト5に入る[2][3]。東コースは、西コースよりも距離的に短く起伏があり、短い距離でのバンカーなどが巧みに配置されたコースである[2][3]。
概要