三反園訓
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日本政治家三反園 訓みたぞの さとし

生年月日 (1958-02-13) 1958年2月13日(66歳)
出生地 日本 鹿児島県指宿市
出身校早稲田大学教育学部
前職テレビ朝日社員[1]
所属政党無所属自由民主党無所属の会二階派
公式サイト三反園 訓|みたぞのさとし後援会事務所
衆議院議員
選挙区鹿児島2区
当選回数1回
在任期間2021年11月3日[2] - 現職
第19代 鹿児島県知事
当選回数1回
在任期間2016年7月28日 - 2020年7月27日
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三反園 訓(みたぞの さとし、1958年昭和33年〉2月13日[3] - )は、日本ジャーナリスト政治家衆議院議員(1期)。会派は自由民主党無所属の会に所属[4]

早稲田大学教育学部卒業後、テレビ朝日に入社し、政治記者コメンテーターを務めた[1]。テレビ朝日退社後は鹿児島県知事(第19代)を務めた[1]
来歴

鹿児島県指宿市生まれ。鹿児島県立指宿高等学校早稲田大学教育学部卒業。1980年、全国朝日放送(2003年、テレビ朝日に改名)に入社し、政治部に配属。日本社会党担当を皮切りに首相官邸自由民主党を担当し、自民党担当時代は金丸信安倍晋太郎の番記者を務めた。その後は首相官邸や自民党、大蔵省外務省防衛庁担当のキャップを歴任し[5]、その後はテレビ朝日コメンテーター(解説委員)に就任。1990年代はニュースステーションの政治担当キャスターを務め、連日国会記者会館からリポートしていた。一時期はスポーツ部に所属し、テレビ朝日で放送されていた大相撲ダイジェストを担当して、水戸泉双羽黒ら人気力士の取材に駆け回っていた[6]

2015年12月31日、翌年7月の鹿児島県知事選挙に出馬する意向を表明し[7]2016年2月26日、正式に記者会見を開いて鹿児島県知事選への立候補を発表した[8]。三反園の出馬表明により、先んじて鹿児島県知事選への出馬を表明していた九州電力川内原子力発電所薩摩川内市)の再稼働に反対する市民団体「ストップ川内原発!3・11鹿児島実行委員会」メンバーの候補は、自身の立候補を取り下げ、三反園の支援に回った。

第24回参議院議員通常選挙と同日選挙となった2016年7月10日投開票の鹿児島県知事選では、川内原発の再稼働を推し進めた現職知事の伊藤祐一郎による県政を批判し、「原発のない社会を作ろう」「ドイツにならい、鹿児島を自然再生エネルギー県に」等、脱原発を訴える選挙戦を展開[9]民進党社会民主党の県組織、反原発を訴える市民団体をはじめ、伊藤県政に批判的な保守系の鹿児島県議会議員の支持も受け、伊藤知事を破り初当選した[10]。戦後初の私立大学卒かつ民間企業出身の鹿児島県知事となった[注 1]

2016年7月28日、鹿児島県庁に初登庁し、九州電力に対して川内原発の停止を求める考えを改めて表明[11][12]し、就任直後には川内原発の停止を九電に申し入れるも拒否され[13]、その後は原発に対する発言を徐々にトーンダウン。原発の安全性について問われると「知事になる前の立場と、今の立場はちがう。もう一度、これまでの経緯を聞いて私の考え方をまとめたい」と公約を大幅に修正。12月1日には「私に原発を稼働させるか稼働させないかの権限はない」とした上で、九州電力川内原発1号機の再稼働容認に転じた[14][15]

2016年12月20日、川内原発の安全性を評価する県独自の第三者組織「原子力安全・避難計画等防災専門委員会」を設置。三反園の選挙戦を支援した反原発派の活動家が推薦する人物らは含まれず、また国や規制委員会にものを言う機関ではなく「原発の稼働・停止を判断しない」機関であるとしている[16]。委員会設置のための補正予算案の審議においては原発を「ベースロード電源」であると位置づけた[17]。選挙戦では、政策協定を結び、出馬を見送った脱原発市民団体の平良行雄と「反対派も入れてバランスを取る」と約束していたが、同年12月5日の県議会において「記憶は定かではない」と答弁[18]。原発再稼動を容認したことや、脱原発活動家らと約束したにもかかわらず、専門委員会に反原発派が入らなかったことについて毎日新聞は、「看過できない変節ぶり」と批判した[19]

2017年4月1日、県の地方創生担当特別顧問に元総務大臣増田寛也を任命した[20]

2019年12月3日、再選を目指し2020年の知事選に立候補する意向を表明した[21]。前回と異なり自由民主党・公明党の推薦を受け立候補したが、県内自治体の複数の首長に集票依頼疑惑をはじめとする在職中の下記のようなふるまいや自身の主張が変わってきたこと[22]、新型コロナウィルスの感染拡大や豪雨災害への対応などで満足に選挙活動が出来なかった事などが響き、2020年7月12日の投開票の結果、元九州経済産業局局長の塩田康一に敗れて落選。鹿児島県知事としては初の1期限りで[23]、マニフェストにあった県民ドーム球場の建設や、検討委員会を経てそれより優先するとした県総合体育館の建設、アウトレットモールの誘致など、いずれも進展のないまま退任となった[24][25][26]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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