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この項目では、現在の三原駅について説明しています。初代の三原駅については「糸崎駅」をご覧ください。
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この項目には、一部のコンピュータや閲覧ソフトで表示できない文字(Microsoftコードページ932(はしご高))が含まれています(詳細)。
三原駅
南口(2018年4月)
みはら
Mihara
所在地広島県三原市城町一丁目1-1.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度24分2.4秒 東経133度4分59.5秒 / 北緯34.400667度 東経133.083194度 / 34.400667; 133.083194
三原駅(みはらえき)は、広島県三原市城町一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅である[1]。三原城本丸跡を横切るように建てられている[1]。三原港まで当駅から300 mと近い。 山陽新幹線と、在来線における当駅の所属線である[4]山陽本線、および当駅を起点とする呉線が乗り入れており、後者は竹原・呉方面を回り、海田市駅で山陽本線に合流して広島駅に至る。山陽本線の駅番号については、糸崎駅と当駅では福山方面と広島方面それぞれに割り当てられており、広島方面はJR-G16、福山方面がJR-X20である。呉線の駅番号はJR-Y31。在来線はICOCAの利用エリアに含まれている。 事務管コードは▲800601を使用している[5]。 当駅開業前は隣駅の糸崎駅が「三原駅」を名乗っていた。 山陽新幹線の建設に当たって、福山 - 広島間の中間駅は尾道に設置する案と三原に設置する案があったが、いずれか1つを選択する予定になっていた。三原駅には線形的には乗り入れ可能でも市街地の用地買収が困難であり、一方で尾道駅には地形的に新幹線を乗り入れできないが、約2.5 km北に建設予定のバイパス道路沿いに新駅を建設する構想があってこちらが有力とされていた。 ところが当時の三原市長の長尾正三が巻き返しにかかり、新幹線ルート上の地権者や住民3,828人の新幹線誘致同意の署名を取り付けて、1969年(昭和44年)1月に国鉄本社に持参した。これにより用地買収に問題が無いとわかり、在来線駅に新幹線駅を併設できる方が望ましいこと、福山 - 広島間の中間に近くなることなどから、国鉄の判断は逆転して三原駅が選択されることになり、新幹線開通と同時に新幹線三原駅が実現することになった。新尾道駅の開業が実現するのはそれから13年後の1988年(昭和63年)のことであり、工事費62億円は地元負担となっている[6]。
乗り入れ路線
歴史
年表
1894年(明治27年)6月10日:山陽鉄道 糸崎駅 - 広島駅間の開通と同時に開業[2]。旅客・貨物の取扱を開始[2]。
1906年(明治39年)12月1日:山陽鉄道の国有化により、官設鉄道の駅となる[2]。
1909年(明治42年)10月12日:線路名称制定。山陽本線の所属となる。
1930年(昭和5年)3月19日:呉線が当駅から須波駅まで開通[7]。
1965年(昭和40年)9月24日:みどりの窓口営業開始。
1971年(昭和46年)10月1日:貨物の取扱を廃止[2]。これは、山陽新幹線建設に際して、駅北側に存在した貨物設備が支障するためである[8]。
1975年(昭和50年)3月10日:山陽新幹線が岡山駅 - 博多駅間延伸により、当駅に乗り入れ[9]。
1986年(昭和61年)11月1日:新聞紙以外の荷物扱い廃止[2]。
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる[2]。
1989年(平成元年)9月28日:山陽本線(上り線)が高架橋へ切り替え[10]。
1990年(平成2年)6月26日:山陽本線(下り線)が高架橋へ切り替え[10]。
1991年(平成3年)7月29日:呉線が高架化され、在来線全線が高架化完成[11]。
1995年(平成7年)10月1日:広島支社の直轄から三原地域鉄道部の管轄となる[12]。