三冠ヘビー級王座
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三冠ヘビー級王座
詳細
現王者宮原健斗
獲得日2022年1月23日
管理団体全日本プロレス
創立1989年4月18日

統計
最多保持者諏訪魔:7回
初代王者ジャンボ鶴田
最長保持者三沢光晴:705日
最短所持者テリー・ゴディ:3日
最年長天龍源一郎:52歳2ヶ月
最年少宮原健斗:26歳11ヶ月

三冠ヘビー級王座(さんかんヘビーきゅうおうざ)は、日本のプロレス団体である全日本プロレスが管理・運営する、PWF認定のタイトルである。初期は三冠統一王座(さんかんとういつおうざ)と称していた。目次

1 概要

2 歴史

2.1 三冠統一まで

2.2 ベルト一本化

2.3 一本化以降


3 歴代王者

4 主な記録

5 脚注

6 外部リンク

概要

三冠ヘビー級王座とは、PWFヘビー級王座インターナショナル・ヘビー級王座ユナイテッド・ナショナル・ヘビー級王座(UNヘビー級王座)の統一王座である。全日本プロレスを象徴する、同団体で最も権威のあるタイトルとされている。

インターナショナル・ヘビー級王座は力道山が創設した日本プロレスに於いて、力道山とジャイアント馬場が保持し、UNヘビー級王座はアントニオ猪木坂口征二が保持してそれぞれ腰に巻いた歴史的なチャンピオンベルトである。日本プロレスが崩壊したことを受け、紆余曲折を経てインターナショナル・ヘビー級王座とUNヘビー級王座のベルトは全日本プロレスが受け継ぐ事となった。

一方、PWFヘビー級王座は馬場が全日本プロレスを旗揚げした際に、力道山(百田)家から初代インターナショナル・ヘビー級王座チャンピオンベルト(通称:力道山ベルト)の寄贈を受けたことを契機に、世界ヘビー級王座として新設されたもので、全日本プロレスのシンボル王座としてその名を高めた。これら歴史的経緯の異なる三つの各王座を、全日本プロレスでの管理上から一つにまとめた統一王座である。

王座統一後は、「三冠王座」と言うものの、三つの各王座それぞれで選手権試合が行われることはなく、新日本プロレスIWGP世界ヘビー級王座プロレスリング・ノアGHCヘビー級王座と同様に、全日本プロレスの象徴のタイトルとして位置づけられている。見方を変えれば一つの王座だとも言える(後述のようにのちに一本化されたベルトも製作)。

王座統一直後には、選手権試合宣言にて「NWAが認可し、PWFが認定する三冠統一選手権試合」としていたが、1990年代前半からは、NWAの衰退に伴い馬場がNWA第一副会長を辞任したことによって認可が解け、「PWFが認定する三冠ヘビー級選手権試合」に変更された。

三冠ヘビー級王者は三冠王者とも呼ばれ、加えて世界タッグ王座インターナショナル・タッグ王座PWF世界タッグ王座)も獲得した選手は「五冠王者」と呼ばれる。これは三冠ヘビー級王座のベルトが一本化された現在も変わらない[1][2]。ちなみに三冠ヘビー級王座と世界タッグ王座に加えて、三沢光晴1999年アジアタッグ王座[3]武藤敬司2001年IWGPタッグ王座をそれぞれさらに獲得し、「六冠王者」に輝いている。また、2005年小島聡が三冠ヘビー級王座とともに新日本プロレスの至宝であるIWGPヘビー級王座を獲得した際には、合わせて「四冠王者」と呼ばれていた[4]

なお、スタン・ハンセンは王座統一以前に三つの各王座を全て獲得している(ただし、UNヘビー級王座戴冠時はPWFヘビー級王座との二冠王者であった。また、王座統一後の三冠ヘビー級王座も獲得している。各王座をそれぞれ単独で全て獲得した選手はいない)。よって、初代三冠ヘビー級王者のジャンボ鶴田は、三つの各王座を全て獲得した選手としては史上2人目となる。
歴史
三冠統一まで

1988年3月9日横浜文化体育館大会で第26代UNヘビー級王者である天龍源一郎と、第12代PWFヘビー級王者であるスタン・ハンセンとの間で両王座のダブル選手権試合が行なわれた。その結果天龍が勝利し、UNヘビー級王座の防衛に成功するとともに第13代PWFヘビー級王者となり、二冠王者になった。以降、両王座は同一の王者が保持することになり、選手権試合が行なわれる際にも両王座が同時にかけられることになる。

同年4月15日大阪府立体育会館大会で第17代インターナショナル・ヘビー級王者であるブルーザー・ブロディと、UNヘビー級とPWFヘビー級の二冠王者である天龍との間で史上初の三冠ヘビー級王座統一戦が行われたが、両者リングアウトにより王座の統一は実現しなかった。

同年4月19日、宮城県スポーツセンター大会でブロディを退けて第18代インターナショナル・ヘビー級王者となったジャンボ鶴田と、同年7月27日長野市民体育館大会で天龍を退けて第27代UNヘビー級と第14代PWFヘビー級の二冠王者となったハンセンとの間で、同年10月17日広島県立体育館大会にて2度目の王座統一戦が行われたが、引き分けで王座の統一は実現しなかった。

1989年4月16日後楽園ホール大会で再戦が行われたが、またしても決着はつかなかった。長く引っ張った挙句の不透明決着にファンが激怒し、会場が騒然となる事態にまで発展した(これがきっかけで、全日本プロレスの試合からリングアウト・反則決着が消えていくことになる)。

2日後の4月18日大田区体育館大会で鶴田とハンセンとの間で満を持して再々戦が行なわれた。ウエスタン・ラリアットを避けられロープに激突し、一瞬の隙ができたハンセンを、鶴田が片エビ固めで丸め込みフォール勝ち。かみ合わない試合展開で完全決着とは言えない勝利であったが、三つの王座を統一し、初代三冠ヘビー級王者となった鶴田は満面の笑みでファンに応えた。

以降、鶴田、ハンセン、天龍などの世代とプロレス四天王世代との抗争を中心に激闘を展開。プロレスリング・ノア設立に伴う選手大量離脱以降は、他団体所属選手とのタイトルマッチも行なわれるようになり、現在まで全日本プロレスの至宝として継承されている。
ベルト一本化

2006年10月14日、チャンピオンベルトを管理する全日本プロレスが三本のベルトが老朽化したことなどを理由として、三冠ヘビー級王座のベルトを一本化した上で新調することを明らかにし、それまでの三本のベルトは同年10月29日の福岡大会後に回収して新しいベルトは翌2007年2月の両国国技館大会でお披露目となる予定であったが、何らかの事情があってかこれが延期され現行の三本のベルトを使用し続けていた。1983年制定(当初はIWGPリーグ戦優勝者に授与)のIWGPヘビー級王座のベルトが既に4代目なのとは対照的に三冠ヘビー級王座の三本のベルトはレプリカを使用する場合が多いとはいえいずれも40 - 50年も更新されず経過していた。

2013年、全日本プロレスは8月25日に(三冠ヘビー級王座生誕の地でもある)東京・大田区総合体育館にて開催される諏訪魔潮崎豪の三冠ヘビー級選手権試合を最後に、三本のベルトを創業者の馬場家へ返還することを決定し[5]、8月25日の選手権試合で諏訪魔が防衛した翌日(8月26日)、改めて全日本プロレスから三冠ヘビー級王座のベルトを一本化して新製し、10月27日に開催された両国国技館大会にて新装したチャンピオンベルトを公開した[6]


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