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三八式歩兵銃 / 三八式小銃三八式歩兵銃
三八式歩兵銃 / 三八式小銃
種類小銃(軍用銃)
製造国大日本帝国
設計・製造 大日本帝国陸軍東京砲兵工廠
小倉陸軍造兵廠
名古屋陸軍造兵廠
仁川陸軍造兵廠
奉天陸軍造兵廠
仕様
種別ボルトアクション式歩兵用銃
口径6.5mm[注 1]
銃身長797mm
ライフリング初期型:6条右回り
中後期型:4条右回り
使用弾薬三八式実包
装弾数5発
作動方式ボルトアクション方式
全長1,276mm
(三十年式銃剣着剣時: 1,663mm)
重量3,730g
(三十年式銃剣着剣時: 4,100g)
銃口初速762m/s
最大射程4000m
有効射程460m
歴史
設計年1900年代
製造期間- 1942年(昭和17年)
配備期間1908年(明治41年) - 1945年(昭和20年)
配備先#使用国・組織
関連戦争・紛争第一次世界大戦、シベリア出兵、満洲事変、第一次上海事変、日中戦争、張鼓峰事件、ノモンハン事変、第二次世界大戦(太平洋戦争)
バリエーション#改良型・派生型
製造数3,400,000丁
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三八式歩兵銃(さんはちしきほへいじゅう)は、1905年(明治38年)に日本陸軍で採用されたボルトアクション方式小銃である。三十年式歩兵銃を改良して開発された。
概要満州事変において三八式歩兵銃を装備し軍旗(連隊旗、旭日旗)を護衛する歩兵連隊の軍旗衛兵
日清戦争で主に使用された村田経芳開発の十三年式・十八年式村田単発銃に代わる、有坂成章開発の近代的な国産連発式小銃である三十年式歩兵銃は、1904年(明治37年)から翌1905年にかけて行われた日露戦争において、帝国陸軍の主力小銃として使用された。三十年式歩兵銃自体は当時世界水準の小銃であったが、満州軍が遼東半島の戦場で使用してみると、同地が設計時に想定した以上の激しい砂塵の吹き荒れる土地であったことから故障が頻発した。このため、有坂の部下として三十年式歩兵銃の開発にも携わっていた南部麒次郎が中心となり本銃の開発が始まった。あくまで三十年式歩兵銃をベースとする改良であったため、銃自体の主な変更点は機関部の部品点数削減による合理化のみであり、また防塵用の遊底被(遊底覆、ダストカバー)の付加や弾頭の尖頭化(三十年式実包から三八式実包へ使用弾薬の変更)を行っている(詳細は後述)。
この改良は順調に進み、本銃は1905年(明治38年)の仮制式制定(採用)を経て、翌1906年(明治39年)5月に制式制定された[1]。部隊配備は日露戦争終戦後の1908年(明治41年)3月から始められ、約2年ほどで三十年式歩兵銃からの更新を完了している。
本銃の初の実戦投入は第一次世界大戦(青島の戦いなど日独戦争)であった。以降、三八式歩兵銃は日本軍(海軍にも供与)の主力小銃としてシベリア出兵、満洲事変、第一次上海事変、日中戦争(支那事変)、張鼓峰事件、ノモンハン事変等で使用されている。三八式実包(6.5mmx50SR)の断面図
途中、1938年(昭和13年)から大口径実包である7.7mmX58弾(九九式普通実包)を使用する次期主力小銃が開発され、これは1939年(昭和14年)に九九式短小銃および九九式小銃として仮制式制定(採用)、両銃のうち九九式短小銃が量産され三八式歩兵銃の後続として順次部隊に配備された。そのため三八式歩兵銃は1942年(昭和17年)3月をもって名古屋陸軍造兵廠において生産を終了したが、時局の不都合や国力の限界から完全には(三八式から九九式へと)更新することができなかったため、第二次世界大戦(太平洋戦争/大東亜戦争)においても九九式短小銃とともに日本軍主力小銃として使用された(詳細)。「九九式短小銃#7.7mm口径化の経緯」も参照
満州国では、1935年よりモ式小銃を製造していた奉天工廠(南満陸軍造兵廠
)にて現地生産が始まり、日本国内(朝鮮の仁川陸軍造兵廠を含む)での生産が終了した後も、1944年(昭和19年)まで生産が行われていた。満州での現地生産品はシリアルナンバーの後ろに奉天工廠製を示す刻印が入っている以外は、国内製造品との差異は無い[2]。総生産数は約340万挺であり、日本の国産銃としては最多である(九九式短小銃は約250万挺)。長年に渡って主力小銃として使用されていたため、騎銃(騎兵銃)型・短銃身型・狙撃銃型など多くの派生型も開発・使用され(詳細)、外国にも多数が輸出されている。 その発音のし易さから現役当時より「さんぱちしき」という読み方の定着している本銃ではあるが、制式名称たる三八式歩兵銃の「三八式」の正式な呼称は「さんはちしき」である。 また「三八式小銃」という名称も、(歩兵銃と騎銃を統一した九九式短小銃が採用されるはるか以前である)大正時代初期頃から既に陸軍内部では官衙等上層部においても半公式的に使用されている[3][4][5]。 英語圏を中心とする日本国外においては「Type 38 rifle」「Arisaka type 38 rifle」「Arisaka M1905 rifle」「Arisaka 6.5mm rifle」または単純に「Arisaka rifle(アリサカ・ライフル)」と呼称されることも多い。本銃の開発は南部麒次郎陸軍砲兵少佐によって行われたものであるが、原型となった三十年式歩兵銃の開発者が有坂成章陸軍砲兵大佐であることに因んでいる。 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
呼称
開発・製造
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