三亜市(さんあ-し)は中華人民共和国海南省の地級市。海南島の最南端に位置し、海南省で第二の都市である。目次 三亜は海南島南端に位置し南シナ海に面した、北緯18度9分から18度37分(ハワイとほぼ同緯度)、東経108度56分から109度48分の地点に位置し、海岸線は209キロメートルにおよぶ。熱帯の気候と美しい海浜で知られ、特に亜龍湾(ヤーロン・ベイ)はヒルトン、シェラトン、マリオット、ザ・リッツ・カールトンなど外資系の高級ホテルが立ち並ぶ、中国有数のビーチリゾートとして人気のある旅行先となっている。 森林や海中は豊かな生態系が残り、多様な鳥類や魚類が生息している。天然ガス・石灰岩・花崗岩などの鉱物資源も豊富であり近年開発が急速に進められている。 三亜市街地の東の楡林港は第二次世界大戦時には日本海軍の根拠地の一つであり、現在は楡林海軍基地がある。その東の亜竜湾の東側には、戦略型ミサイル原子力潜水艦晋級などが駐留する亜竜湾海軍基地がある[1]。 三亜の名称は「三亜河」(旧称: 臨川水)に由来する。三亜の東西から流入する川が合流しY字となっていたことより三亜と命名された。 三亜が中原の支配を受けるようになったのは前漢のことである。秦代には崖州が設置されていたが、実際の支配は武帝により南越国が滅亡された後の前110年に臨振県が設置された後である。その後臨振郡、崖州、珠崖軍、吉陽軍、崖州と名称の変遷があった。明代の『正徳瓊台志
1 地理
2 歴史
3 行政区画
3.1 年表
3.1.1 海南行政区海南リー族ミャオ族自治区
3.1.2 海南行政区海南リー族ミャオ族自治州
3.1.3 広東省三亜市
3.1.4 海南省三亜市
4 観光
5 交通
5.1 航空
5.2 鉄道
5.3 道路
6 友好都市
7 脚注
8 外部リンク
地理
歴史「崖州 (海南省)」も参照
中華民国が成立すると1912年に直隷州は廃止され、崖県が設置され県治が三亜に設置され、三亜が地域の中心として発展するようになった。1984年5月に崖県は県級市の三亜市に昇格、更に1987年11月に地級市に昇格し現在に至っている。
かつては中国と東南アジアとの間の海路の中継点にあたる場所であり海上交通中継地・軍事上の要地ともされたが、同時に中原政権にとり辺境に位置する三亜は歴代王朝により流刑地として使用されていた。歴史的にリー族やミャオ族が多く、その他イスラム教を信仰する回族も一定数いるが、中国全土からの人口流入により漢族が人口の大半を占めるにいたっている。 亜龍湾は三亜鳳凰国際空港の南に位置する。
行政区画楽東県・白沙県・保亭県を編入。海南行政区海南リー族ミャオ族自治区が成立。(5県)
楽東県・白沙県の各一部が海南行政区昌感県の一部と合併し、東方県が発足。
保亭県・白沙県の各一部が海南行政区屯昌県・楽会県・万寧県の各一部と合併し、瓊中県が発足。
1953年7月1日 - 海南行政区陵水県・崖県を編入。(7県)
1955年9月 - 海南行政区海南リー族ミャオ族自治区が海南行政区海南リー族ミャオ族自治州に改称。
海南行政区海南リー族ミャオ族自治州
1959年3月22日 (4県)
海南行政区昌感県が東方県に編入。
白沙県が東方県・瓊中県に分割編入。
保亭県・陵水県が崖県に編入。
1960年9月30日 - 崖県の一部が分立し、保亭県が発足。(5県)
1961年10月5日 (8県)
東方県の一部が分立し、白沙県・昌江県が発足。
崖県の一部が分立し、陵水県が発足。
1981年10月23日 - 崖県の一部が分立し、海南行政区西沙群島・南沙群島・中沙群島弁事処となる。(8県)
1984年5月19日 - 崖県が市制施行し、三亜市となる。(1市7県)
1986年6月12日 - 保亭県・瓊中県・楽東県の各一部が合併し、通什市が発足。(2市7県)
1987年11月20日
三亜市が地級市の三亜市に昇格。
通什市・楽東県・白沙県・保亭県・東方県・瓊中県・陵水県・昌江県が海南行政区に編入。
広東省三亜市
1987年11月20日 - 海南行政区海南リー族ミャオ族自治州三亜市が地級市の三亜市に昇格。(1市)
1988年4月13日 - 広東省の分割により、海南省三亜市となる。
海南省三亜市
2014年1月25日 - 海棠区・吉陽区・天涯区・崖州区を設置。(4区)
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