三井本館
情報
用途事務所・銀行・美術館
設計者トローブリッジ・アンド・リヴィングストン
三井本館(みついほんかん)は東京都中央区日本橋室町に所在する三井不動産の本社ビルであり、同社が保有するオフィスビルである。三井越後屋(三越)の跡地に旧三井財閥(三井グループ)の本拠として建てられた。また、團琢磨暗殺事件(血盟団事件)の現場でもある。 横河民輔が設計を手掛け、1902年(明治35年)に竣工した旧三井本館は、関東大震災で建物は地震による被害は皆無だったが、屋根や窓廻りからの類焼で建物内部が大きな被害を受けた[1]。このため、三井合名は仮本社にて新社屋建設構想に入り、社長の三井八郎右衛門高棟は、「震災の二倍のものが来ても壊れないものを作るべし」と命じ、それを受け理事長の團琢磨は「壮麗(grandeur)」「品位(dignity)」「簡素(simplicity)」の三つの具体的デザインポリシーを掲げ、これらの思想を具現化するために、米国のトローブリッジ・アンド・リヴィングストン事務所を設計、ジェームズ・スチュワート社を施工に選定した。トローブリッジ・アンド・リヴィングストン事務所は團がモデルにしたアメリカのメロン・バンク
概要
完成した本館は、「アメリカン・ボザール」と呼ばれる新古典主義様式による鉄骨鉄筋コンクリート造、地上5階(現在は7階)地下2階建て。当時としては丸ノ内ビルヂング(丸ビル)に次ぐ大ビルだった[3]。外壁は花崗岩(茨城県産稲田石)で仕上げられ、道路に面する主要なファサードは、特徴的なコリント式のオーダーが乗る列柱を整然と並べ、水平コーニスと三井主要各社の業務内容を表現したレリーフが配され、さらに上階のセットバックにより、重圧感の軽減が図られた[1]。関東大震災の教訓からその2倍の地震にも耐えることができるように作られた建物は、内装にイタリア産大理石[4]を使用し、エアシューターや全館完全空調が導入されたほか[5]、格納する三井銀行、信託の大金庫の扉は米国モスラー社(英語版)製で、重量が50トンもあった[6][7]。このため、陸上輸送すると、まだ木造だった日本橋が落ちる心配があったため、新常盤橋ぎわまで船で運び、陸揚げして運び込んだ[6]。近年、川から陸揚げを行っている写真が発見された。
本館には、三井合名、三井銀行、三井物産、三井鉱山、それに新設の三井信託の5社が本社を置いた[3][7]。
昭和金融恐慌の際に三井はドルを買い占めたことを批判され、理事長の團は財閥に対する非難の矢面に立たされ、1932年(昭和7年)3月5日、本館入り口で、血盟団の菱沼五郎から狙撃され、絶命した。詳細は「血盟団事件」を参照
終戦を経て1947年(昭和22年)まで4・5階の一部は、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) に接収された。
リニューアル