三井住友建設株式会社
Sumitomo Mitsui Construction Co., Ltd.
種類株式会社
機関設計監査役会設置会社
市場情報東証プライム 1821
三井住友建設株式会社(みついすみともけんせつ)は、東京都中央区に本社をおき、三井グループ、住友グループの双方に属する準大手ゼネコンである。土木事業・建築事業・海外事業の開発に三本柱を掲げており、PC橋梁、超高層集合住宅を得意とする。JPX日経中小型株指数の構成銘柄の一つ[1]である。 施工したパークシティLaLa横浜で、附帯するデータの誤りがあり(施工は日立ハイテクノロジーズが1次下請け、旭化成建材に2次下請け)[5]これを受け、2016年1月に杜撰な工事管理の注意を受けた事から、後に国土交通省の入札工事に1ヶ月間応札がなくなり指名停止処分を受けた[6]。 2015年(平成27年)9月16日、愛媛県今治市古谷地先で国土交通省 四国地方整備局 松山河川国道事務所発注の朝倉第2高架橋上部の建設中に、橋桁を送り出し工法で架設する過程でコンクリート製の橋桁が傾き落下した[7] 。 2016年(平成28年)4月22日16時30分頃、横河ブリッジと共同して施工を進られていた新名神高速道路の有馬川橋梁工事現場(横河ブリッジ担当工区)で橋桁が落下する事故で、2名が死亡、8名が負傷する事故があった[8]。 2018年(平成30年)3月15日、大阪府枚方市の新名神高速道路の工事現場の、簡単に作る構造であった足場が固定しておらず、作業員1人が転落し死亡した事故があった。2023年(令和5年)2月9日に現場責任者の社員3人が、業務上過失致死の疑いで書類送検となった[9]。
沿革旧西本組本社ビル
旧三井建設株式会社
1887年(明治10年)5月 - 西本組(後の三井建設株式会社)創業。
1941年(昭和16年)10月 - 株式会社西本組設立。
1945年(昭和20年)5月 - 三井建設工業株式会社に社名変更。
1952年(昭和27年)6月 - 三井建設株式会社に社名変更。
1962年(昭和37年)2月 - 東京証券取引所2部に上場。
1963年(昭和38年)8月 - 東京証券取引所1部に上場。
旧住友建設株式会社
1876年(明治9年)3月 - 住友別子銅山土木方(後の住友建設株式会社)創業。
1950年(昭和25年)3月 - 過度経済力集中排除法により、金属部門(現、住友金属鉱山株式会社)、土木建築部門、調度部門(新居浜大丸・2001年閉店)を分離し、土木建築部門別子建設株式会社設立。
1962年(昭和37年)6月 - 東京証券取引所2部に上場。
1962年(昭和37年)10月 - 株式会社勝呂組を合併し、住友建設株式会社に社名変更。
1963年(昭和38年)9月 - 大阪証券取引所2部に上場。
1965年(昭和40年)8月 - 東京・大阪証券取引所1部指定。
三井住友建設株式会社
2003年(平成15年)4月 - 三井建設が住友建設を合併し、三井住友建設株式会社に商号変更。
2008年(平成20年)5月 - 大阪証券取引所上場をやめる。
2020年(令和2年)10月1日 - 三井E&Sホールディングスの子会社の三井E&S鉄構エンジニアリングの株式70%を取得し、商号を三井住友建設鉄構エンジニアリングに変更[2]。
2023年 (令和5年) 4月1日 - 2023年3月期は205億円の最終赤字になり、新井英雄会長が辞任。
歴代社長
友保宏:2003年 - 2005年
宮田博之:2005年 - 2006年
五十嵐久也:2006年 - 2010年
則久芳行:2010年 - 2015年
新井英雄:2015年 - 2021年3月31日
近藤重敏:2021年4月1日[3] - 2024年3月31日
柴田敏雄:2024年4月1日[4] -
職責から「事故・処分」
杭打ちデータ改ざん
2015年落橋事故
2016年落橋事故詳細は「新名神高速道路有馬川橋橋桁落下事故」を参照
2018年足場崩落事件
主な施工物件
パークシティLaLa横浜
海ほたるパーキングエリア
レインボーブリッジ
都営地下鉄大江戸線
新東名高速道路
豊田アローズブリッジ
新名神高速道路
大川端リバーシティ21
セントラルレジデンス新宿シティタワー
大規模マンション(ザ・タワー & パークス田園都市溝の口)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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