三ツ矢雄二
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みつや ゆうじ
三ツ矢 雄二
プロフィール
本名三ツ矢 雄二
[1][2]
性別男性
出生地 日本愛知県豊橋市[3]
出身地 日本・愛知県名古屋市[3]
生年月日 (1954-10-18) 1954年10月18日(69歳)
血液型A型[4]
職業声優俳優音響監督ミュージシャンタレント
事務所ミツヤプロジェクト
公式サイト ⇒YUJI MITSUYA OFFICIAL WEB SITE
公称サイズ(時期不明)[3]
身長 / 体重158.5 cm / 55 kg
スリーサイズ95 - 70 - 85 cm
靴のサイズ24 cm

声優活動
活動期間1976年[5] -
ジャンルアニメゲーム吹き替えナレーション
デビュー作葵豹馬
(『超電磁ロボ コン・バトラーV』)[4][6]
俳優活動
活動期間1967年 -
ジャンルテレビドラマ映画舞台
デビュー作エキストラ
(『名探偵カッチン』)[7]
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

三ツ矢 雄二(みつや ゆうじ、1954年昭和29年〉10月18日[3][注 1] - )は、日本声優俳優音響監督ミュージシャンタレント愛知県豊橋市名古屋市出身[3]
経歴

名古屋市育ち[3]

名古屋市立自由ヶ丘小学校名古屋市立千種台中学校愛知高等学校[3]、東京の専門学校を経て[9]明治大学文学部文芸学科文芸学専攻卒業[4][6]
声優・俳優になるまで

きょうだいの上に両親とも働いていたことからカギッ子で[10]、やることがないため塾のハシゴをしていたという[10]。小学4年生の時に合唱部に所属[2][4]。音楽の教師に勧められたこと、隣家にテレビ局勤めの人物がいた関係で、10歳で中部日本放送で放送されていた素人ちびっ子のど自慢番組『どんぐり音楽会』に出場し、優勝[3][5][8]。この時、審査員の一人から「三ツ矢君の声はオペラ向きだね」と評され、歌いながら芝居をするオペラというものがあることを知った[9]。これをきっかけとしてテレビ業界に興味を持つようになり、中学校入学と同時に国際児童劇団に入団[3][11]。子役としてのデビューは、『名探偵カッチン』のエキストラ[7]。翌年、その後番組である『海から来た平太』のオーディションを受け、主役として合格[3]

その後は、地元名古屋だけでなく近畿地方にも進出し、関西テレビや近畿地区のNHK京都の撮影所などでも仕事をこなすようになる。また中学3年生から、NHK名古屋で制作されていた『中学生群像』(『中学生日記』の前身)に生徒役でレギュラー出演し、全国放送にも登場するようになった[3]

高校卒業後は、元々興味のあった演出や脚本を学ぶため東京の専門学校に入学し[9]、上京して大人の役者を目指し始める。しかしその途端にオーディションに通らなくなり、本人はその理由について身長が158センチしかなかったことを挙げている[12][注 2]。同時にジャズシンガーになりたかった時期もあり、親には内緒で、子役の頃の貯えを使ってアメリカ合衆国へ渡り、半年ニューヨークに行っていた[2][7][10]。その後ニューヨーク、シカゴを中心にベビーシッターをしながら3ヵ月ほど過ごし、ヨーロッパを回って帰国した[10]。しかし帰国後、「さあこれからどうしよう」考えたときに、旅行中「やはり大学へ行って4年間を執行猶予期間にして進む道をゆっくり考えよう」と思ったことに加え[2][10]、その後脚本家になる上で壁にぶつかったため、専門学校卒業後に20歳で明治大学文学部文芸学科に合格し、大学生となった[注 3]。大学時代は外で演劇をしていたことから、「大学では音楽をやってみよう」と考えていた[6]。ミュージカルなどでジャズの曲が歌われることが多かったこともあり、ジャズ研究会に所属して、ボーカルを担当していた[6]

舞台がしたかったこともあり[11]、大学入学直後に知り合いから演出家の蜷川幸雄を紹介され、彼が所属していた「舞プロモーション」に所属して芸能活動を本格的に再開[4]。所属事務所はその後、青二プロダクション[11]ぷろだくしょんバオバブ[13][14]、NPSテアトル[10][15]アーツビジョン[16]大橋巨泉事務所[17]Y・M・O(旧・ラブライブ[18]ブリングアップ[19]コンビネーション[20]に所属していた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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