三ばか大将
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「Disorder in the Court」(1936)
三ばか大将の代表的メンバー。左から石頭のカーリー、カラ威張りのモー、ポンコツのラリー

三ばか大将(さんばかたいしょう、: The Three Stooges)は、アメリカ合衆国ボードビル出身のコメディーグループ。および彼らが主演していた短編映画シリーズ、さらにそれをテレビ用に編集して放送していた番組である。「3ばか大将」との表記も存在する。
概要

『三ばか大将(The Three Stooges)』は、アメリカでは1930年代より短編映画の人気者で、テレビ時代が始まった1949年にはかつての短編映画をテレビ用に編集し放送、あまりの人気に加えテレビ草創期のソフト不足もあり、おびただしい回数再放送されてアメリカ人が誰でも知っているコメディーの大スターとして認識される様になった。

メンバーは何回か交替しているが、最も有名なユニットが丸坊主のデブで石頭(Knuckle head)のカーリー・ハワード(Curly Howard 1903年10月22日 - 1952年1月18日、日本語吹き替え:和久井節緒)、彼の実兄であるオカッパ頭で常に不機嫌なリーダー、カラ威張りのモー・ハワード(Moe Howard 1897年6月19日 - 1975年5月4日、日本語吹き替え:藤岡琢也)、そしてお茶の水博士の様な髪型でporcupine(ヤマアラシ、日本語版ではポンコツ)と呼ばれていたラリー・ファイン(Larry Fine 1902年10月5日 - 1975年1月24日、日本語吹き替え:江幡高志)である。

「三ばか大将」と冠しているものの、実態はカーリーの「一ばか大将」で、その突拍子も無いアドリブかと思われるギャグも一杯のボケをモーがビンタや目突きと言った暴力を乱発して突っ込み、ラリーが二人の間でオロオロしたりとばっちりを受けたりする構図であった。(哀れなラリーはモーに髪の毛をむしり取られるのが常であった。)それが故にラリーはKing of Reactionと呼ばれる。ただし、カーリーのしくじりによって一番ひどい目に遭うのはモーである。

サイレントからトーキーへの移行期に活躍していた彼らは、サイレントのパイ投げに代表されるドタバタとトーキーの台詞ギャグ、音のギャグ、オーバーな効果音などを巧みに使い、日本を含む世界各国のコメディアンにも多大な影響を与えている。

前出の3人のうち、カーリーは先んじて1950年代に逝去するが、後述の通りテレビ放送を通じて日本でも人気を獲得、子供たちを熱狂させることとなる。
日本への輸出

日本では、1963年6月から1964年11月まで『三ばか大将』の番組名で、日本テレビ系列で毎週日曜19:30 - 20:00(JST)に放送され、スポンサーの森永製菓が3人のイラストを今で言うマスコットキャラクター化するほどの人気を博していた。同番組で使用された「ウヒハー、ヘンチクリン」と言う日本語の主題歌は日本語版だけのもので、オリジナルである原語版では初期は作品毎に曲を変え、1935年から「Listen to the Mockingbird」、1939年からは「Three Blind Mice」というスタンダードナンバーを使用している。

また1966年9月から12月まで『トリオ・ザ・3バカ』というタイトルで、NET(現:テレビ朝日)でも毎週金曜19:30 - 20:00(JST)に放送が行われた。

後年、バラエティ番組『テレビ探偵団』(TBS系列、1987年8月23日放送分、ゲスト:布施明)にて、当時の吹替版の映像が紹介された[1]
メンバー
モー・ハワード(Moe Howard)
別名:ハリー・ハワード(Harry Howard)本名:Moses Harry Horwitz生没年:1897年6月19日 - 1975年5月4日メンバー歴:1922年 - 1975年日本語吹き替え-
藤岡琢也玉川良一(新三ばか大将)
テッド・ヒーリー(Ted Healy)
本名:Charles Earnest Lea Nash生没年:1896年10月1日 - 1937年12月21日メンバー歴:1922年 - 1934年日本語吹き替え - なし
ラリー・ファイン(Larry Fine)
本名:Louis Feinberg生没年:1902年10月5日 - 1975年1月24日メンバー歴:1925年 - 1975年日本語吹き替え -江幡高志滝口順平(新三ばか大将)
カーリー・ハワード(Curly Howard、初期はCurley Howard)
別名:ジェリー・ハワード(Jerry Howard)、ジェローム・カーリー・ハワード(Jerome 'Curly' Howard)本名:Jerome Lester Horwitz生没年:1903年10月22日 - 1952年1月18日メンバー歴:1932年 - 1946年日本語吹き替え -和久井節緒
シェンプ・ハワード(Shemp Howard)
本名:Samuel Horwitz生没年:1895年3月4日 - 1955年11月22日メンバー歴:1922年 - 1932年 / 1946年 - 1955年日本語吹き替え -久野四郎
ジョー・ベッサー(Joe Besser)
生没年:1907年8月12日 - 1988年3月1日)メンバー歴:1956年 - 1958年日本語吹き替え -
ジョー・デリータ(Joe DeRita)
別名:カーリー・ジョー・デリータ(Curly-Joe DeRita)本名:Joseph Wardell生没年:1909年7月12日 - 1993年7月3日メンバー歴:1958年 - 1975年日本語吹き替え -柳家小のぶ(新三ばか大将)
経歴
テッド・ヒーリー一座

「三ばか大将」は1920年代初頭、子役出身のモーが友人であるボードビリアン、テッド・ヒーリー(Ted Healy 1896年10月1日 - 1937年12月21日)の一座に参加したことから始まる。後にシェンプ・ハワード(Shemp Howard 1895年3月4日 - 1955年11月22日)…モー、カーリーの実兄…が参加、このテッド、モー、シェンプの3人が「三ばか大将」の元祖だと見られることが多い。当時はテッドが暴力的なリーダーで、シェンプがボケ役、モーが間に入る役回りであった。

その後、バイオリンの曲弾き芸人であったラリー・ファインが加わり、モー、シェンプ、ラリーでトリオを組み、「テッド・ヒーリーと間抜けな子分(Ted Healy & his stooges)」をはじめ雑多なステージネームでの活動が始まる。映画でもテッド主演の「Soup to Nuts」(1930年)にモー、シェンプ、ラリーが三人組で助演した。テッドは酒乱で実際にも座員にしばしば暴力をふるっていたので、彼より年長のシェンプはことごとく対立、ついには単独の喜劇俳優としてのオファーがあったことを契機に、モーのバックアップを得て脱退するに至った。

そのモーが穴埋めに起用したのが、オーケストラの指揮者コントなどで活動していたハワード兄弟の末っ子ジェリー・ハワード(カーリー)である。1933年にジョーン・クロフォードクラーク・ゲーブルが主演した映画「ダンシング・レディ」では、テッドとともにモー、ラリー、カーリーのメンバーが「Ted Healy & his stooges」名義で参加している。カーリーを得た「三ばか大将」は楽器演奏ダンスにもたけており、またたく間にトーキー時代を迎えた映画界に於ける次世代のトップコメディアンとして注目を集める。
モー、ラリー、カーリー「Disorder in the Court」(1936)タイトル左からラリー、モー、カーリー。
同上の映画より、ステッキを銃器に見立て帽子で頭を小刻みにたたき機銃掃射の様な音を出して相手を威嚇するのはカーリーお得意のギャグである。長編映画「Swing Parade of 1946」にゲスト出演。この年にカーリーが倒れる。

1934年にコロンビア ピクチャーズの社長ハリー・コーンは、彼ら3人の才能とスター性に賭け、彼らを欲する他社を押しのけて専属契約を結び、「三ばか大将」をメインタイトルに頂く短編シリーズの主演に起用する。3人専用のスタジオまで用意したハリー・コーンの期待通り、1934年の作品「Men in Black」ではアカデミー短編映画賞喜劇部門で受賞している。同シリーズでは、何本かの例外を除きカーリーのギャグを中心とした作風を確立、1946年までに97本の映画を生み出す。

映画のタイトル上、初期は三人の写真とともにMOE LARRY CURLEY(おそらくは誤植と思われる。)と書かれ、カーリー人気によって序列が変わった後もCURLY LARRY MOEと表示されるのみで姓はクレジットされていない。(メンバーが交替した以降の短編もこのパターンを踏襲している。)カーリーはポスターで過去に使用していた芸名ジェリー・ハワード(Jerry Howard)と記される事がある。3人で脚本も手掛けた「Punch Drunks」(1934)では、タイトルにStory Jerry Howard Larry Fine and Moe Howardとクレジットされている。

映画の共演者の中にはテレビの大ヒットコメディー、「アイ・ラブ・ルーシー」や「ルーシー・ショー」に主演したアメリカの代表的コメディエンヌルシル・ボール や、アカデミー助演男優賞を三回も受賞した名優ウォルター・ブレナン も名を連ねている。

1940年1月19日にアメリカで公開された「You Nazty Spy!」では、モーがアドルフ・ヒトラーを思わせる人物を演じており、チャーリー・チャップリンが同様にヒトラーを思わせる人物を演じた、「独裁者」が公開された1940年10月15日より先んずる格好となった。

カーリーはそれまでの古いコメディアンの枠にとらわれず、独特の笑い"N'yuk, n'yuk, n'yuk" 、興奮すると叫び続ける"Woo, woo, woo" 、驚いた時の大袈裟なリアクション"N'gyahh-ahhh-ahhh!" 、犬の鳴きまね"Ruff, ruff" 、不満な時に相手に向かって片手を出しながら発する"unh-unh-unh-unh"、高い声で繰り出す決まり台詞"Soitanly!"(勿論!)、"Hey, Moe! Hey, Larry!"、"Wait a minute!"、突然の奇声"Ah-ba-ba-ba-ba-ba-ba!"、超ボーイソプラノで唄う意味不明の鼻歌、連発する駄洒落、混乱した時両手で交互に顔をひっぱたく、床に寝そべって肘を支点に全身でぐるぐる回る(映画「雨に唄えば」(1952年)でドナルド・オコナーが真似している)、片脚を後ろに蹴り上げながら後退する奇妙なダンス、様々な局面でいきなり披露するパントマイム等の印象的なキャラクターで一躍トップスターに躍り出る。ラリーが弾くバイオリンの曲"Pop Goes the Weasel"を聞くと俄然強くなるボクサー(「Punch Drunks」)、オイスターシチューの牡蠣との格闘(「Dutiful but Dumb」…1941年)、氷を相手にしたひげ剃り(「An Ache in Every Stake」…1941年)などが有名である。


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