丈部 善理(はせつかべ の ぜんり、生年不詳 - 延暦8年(789年))は、平安時代前期の武将。姓はなし。位階は外従七位下、贈外従五位下。 陸奥国磐城郡の人[1]。延暦8年(789年)に発生した巣伏の戦いにおいて、別将(小部隊の隊長)として中・後軍を率い衣川を渡河。官軍がアテルイ(阿弖流為)率いる蝦夷の巧みな戦法により不利に陥ってからも果敢に戦うが、敗れ戦死する[2]。 延暦10年(791年)には巣伏の戦いにおける功労により、外従五位下の位階を追贈されている[1]。
経歴
脚注^ a b 『続日本紀』延暦10年2月5日条
^ 『続日本紀』延暦8年6月3日条
参考文献
宇治谷孟『続日本紀 (下)』講談社〈講談社学術文庫〉、1992年
更新日時:2018年9月25日(火)15:12
取得日時:2019/01/30 19:26