七草
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この項目では、日本の風習について説明しています。イラストレーターについては「七草 (イラストレーター)」をご覧ください。

七草(ななくさ)とは、様々な観点で挙げられた、7種類の野草野菜である。

数ある七草の中で、春の七草については、7種の野草・野菜が入った七草粥)を人日節句旧暦1月7日)の朝に食べる風習が残っている。

@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}元々の「七草」は秋の七草を指し、小正月1月15日のものは「七種」と書く[要出典]。この七種も「ななくさ」と読む。一般には七日正月のものを七草と書く。現在では元々の意味は失われ、風習だけが形式として残った。これらのことから、人日の風習と小正月の風習とが混ざり、新暦の1月7日に「七草粥」が食べられるようになったと考えられる。
春の七草

の七草とは以下の7種類の植物である。春の七種七草がゆ

画像よみ
名称現在の名称学名科名
せり
セリOenanthe javanicaセリ科
なずな
ナズナ(ぺんぺん草)Capsella bursa-pastorisアブラナ科
ごぎょう
御形ハハコグサ(母子草)Pseudognaphalium affineキク科
はこべら
繁縷ハコベ(繁縷、??)Stellaria mediaナデシコ科[* 1]
ほとけのざ
仏の座コオニタビラコ(小鬼田平子)Lapsanastrum apogonoidesキク科[* 2]
すずな
カブ(蕪)Brassica rapa var. rapaアブラナ科[* 3]
すずしろ
蘿蔔ダイコン(大根)Raphanus sativus var. hortensisアブラナ科[* 3]
^ 七草として市販されているものに含まれる「はこべら」は一般にコハコベが利用されている[1]。コハコベは幕末から明治初頭にかけての時期に国内で普通に見られたと記録されている[1]が、明治時代になって日本列島に持ち込まれてきたという指摘もある[2]。2000年にコハコベを春の七草にするのは「帰化植物で、偽物」とする研究者の見解が地方紙に掲載され、生産農家に混乱もあったという[1]。ミドリハコベはもともと日本に生育していた種とされ[2]、春の七草はミドリハコベとする文献もある[3]
^ 「仏の座」はシソ科ホトケノザとは別の種。
^ a b すずな、すずしろに関しては異論もあり、辺見金三郎は『食べられる野草』[4]の中で‘すずな’はノビル、‘すずしろ’はヨメナとしている。

文化

7種の野菜を刻んで入れたかゆ七草がゆといい、邪気を払い万病を除く占いとして食べる。呪術的な意味ばかりでなく、御節料理で疲れた胃を休め、野菜が乏しい冬場に不足しがちな栄養素を補うという意味もある。

七種は、前日の夜にまな板に乗せて囃し歌を歌いながら包丁で叩き、当日の朝に粥に入れる。囃し歌は鳥追い歌に由来しているので、七種がゆの行事と、豊作を祈る行事とが結び付いた結果と考えられている。歌の歌詞は「七草なずな 唐土の鳥が、日本の土地に、渡らぬ先に、合わせて、バタクサバタクサ」などであり、地域によって多少の違いがある。

七種の行事は「子(ね)の日の遊び」とも呼ばれ、正月最初の子の日に野原に出て若菜を摘む風習があった。『枕草子』にも、「七日の若菜を人の六日にもて騒ぎ……」とある。

覚え方と呼べるような語呂合わせは知られていないが、上記のとおりに並べると五七調になる。
歴史

古代から日本では年初に雪の間から芽を出した草を摘む「若菜摘み」という風習があり、これが七草の行事の原点とされる。しかし、六朝時代の中国の「荊楚歳時記」には、「人日」(人を殺さない日)である旧暦1月7日に「七種菜羹」という7種類の野菜を入れた羹(あつもの=とろみのある汁物)を食べて無病を祈る習慣が記載されており、「四季物語」には「七種のみくさ集むること人日菜羹を和すれば一歳の病患を逃るると申ためし古き文に侍るとかや」とある。このことから今日行われている七草粥の風習は、中国の「七種菜羹」が日本において日本文化・日本の植生と習合した結果、生じたと考えられている。

日本では古くから七草を食す習慣が行われていたものの、特に古代において「七草」の詳細は記録によって違いが大きい。『延喜式』には餅がゆ(望がゆ)という名称で「七種粥」が登場し、かゆに入れていたのは(きび)・(ひえ)・みの胡麻小豆の7種の穀物であり、これとは別に一般官人には、米に小豆を入れただけの「御粥」が振る舞われていた。この餅がゆは毎年1月15日に行われ、これを食すれば邪気を払えると考えられていた。なお、餅がゆの由来は不明な点が多いものの、『小野宮年中行事』には弘仁主水式に既に記載されていたと記され、宇多天皇は自らが寛平年間に民間の風習を取り入れて宮中に導入したと記している(『宇多天皇宸記』寛平2年2月30日条)。この風習は『土佐日記』・『枕草子』にも登場する。

その後、旧暦の正月(現在の1月末?2月初旬頃)に採れる野菜を入れるようになったが、その種類は諸説あり、また地方によっても異なっていた。現在の7種は、1362年頃に書かれた『河海抄(かかいしょう)』(四辻善成による『源氏物語』の注釈書)の「なづな御行はくべら仏座すずなすずしろ、これぞ七種」が初見とされる(ただし、歌の作者は不詳とされている)。これらは水田雑草または畑に出現するものばかりであり、今日における七種類の定義は日本の米作文化が遠因となっている。

江戸時代頃には武家や庶民にも定着し、幕府では公式行事として、将軍以下全ての武士が七種がゆを食べる儀礼を行っていた。また、朝日新聞のコラム「天声人語」2023年1月7日掲載分「七草いまむかし」によると、江戸時代には七つの調理道具を用いて囃す「薺打ち」や、七草の日にナズナの入った水に指を浸してから爪を切る「七草爪」という行事があり、いずれも長谷川かな女の俳句に題材として取り上げられたことがある[5]

1970年頃[注釈 1]には「近代七草」としてミツバシュンギクレタスキャベツセロリホウレンソウネギが提唱されたものの定着していない[5]
秋の七草伊勢神宮(外宮)の観月会に供えられた秋の七草。

の七草は以下の7種の野草のことである。

画像よみ
名称現在の名称学名科名
おみなえし
女郎花オミナエシPatrinia scabiosifoliaオミナエシ科
おばな
尾花ススキMiscanthus sinensisイネ科
ききょう
桔梗キキョウPlatycodon grandiflorusキキョウ科
なでしこ
撫子カワラナデシコDianthus superbusナデシコ科


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