この項目では、中世史について説明しています。ジョージ・R・R・マーティンの小説及びそれを原作とするテレビドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』に登場する架空の世界については「氷と炎の歌の世界」をご覧ください。
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アングロ・サクソン七王国(しちおうこく、英語: Heptarchy、ヘプターキー)とは、中世初期にグレートブリテン島に侵入したアングロ・サクソン人が同島南部から中部にかけての地域に建国した7つの王国のこと。この時代をまた「七王国時代」とも呼ぶ。「ヘプターキー」という言葉は古代ギリシア語の数詞で「7」を指す「ヘプタ(?πτ?)」と「国」の「アーキー(?ρχ?)」を足した造語である。最初にこの語を記したのは12世紀の史家ヘンリー・オブ・ハンティングドンであり、16世紀には用語として定着した。
これらの王国が覇を競った時代は、ホノリウス帝がブリタンニアを放棄してから(409年、End of Roman rule in Britain)、ウェセックスのエグバート王がカレドニアを除くブリテン島を統一するまで(825年、エランダンの戦い(英語版))であると考えられている。実際にアングロ・サクソン人が建国した王国は7つのみではなく、多数の群小のアングロ・サクソン人および先住のブリトン人の小国家群とともに林立したが、次第にその中で有力な国家が周囲の小国を併呑して覇権を広げていった。7つという王国の数は、これらの覇権を広げた有力な国を、後世7つの大国に代表させたものである。この王国群の中から後のイングランドが形成され、その領土は「アングル人の土地」という意味で「イングランド」と呼ばれることとなる。
七王国主なアングロサクソン王国
上記の7つの大国として、以下の7つの国が挙げられる。 上記の7つの大国以外にも以下のような小国が多数存在した。
ノーサンブリア王国: イングランド北東部を支配したアングル人の王国。
マーシア王国: イングランド中央部を支配した。7世紀ごろ勢力を誇ったアングル人の王国。
イースト・アングリア王国: イングランド南東部イースト・アングリア地方、現在のノーフォーク、サフォーク周辺を支配したアングル人の王国。
エセックス王国: イングランド南東部を支配したサクソン人の王国、現在のエセックス、ハートフォードシャー、ミドルセックス周辺を支配した。
ウェセックス王国: イングランド南西部を支配したサクソン人の王国、最終的にドーセット、ハンプシャー周辺を中心に王国として形成されたが、前期の支配区域は最も北部であった。
ケント王国: イングランド南東部、現在のケント周辺に形成されたジュート人の王国。最も早い時期にローマ系キリスト教を受け入れた地域である。
サセックス王国: イングランド南部を支配したサクソン人の王国、現在のサリー、イースト・サセックス、ウェスト・サセックス周辺を支配した。
七王国以外の小国群
ドゥムノニア (Dumnonia
ウィッチェ (Hwicce[1]): マーシアの隣にある小国。マーシアの影響を強く受けていた属国と考えられ、王族はアングル人だった。
リンジー(Linsey): マーシアの隣、リンカンシャー地方の小国。7世紀にノーサンブリア王国に征服された。アングル人の王国と推測される。
ミドル・アングルス (Middle Angles): マーシアの衛星国でありマーシア勢力下におけるキリスト教の中心地。マーシアのアングル王ペンダが息子ペーダを王として封じたことに始まり、のちにマーシアに併合された。
マゴンサエテ (Magonsate): マーシアの衛星国であった。
ペクサエテ (Pecsate): マーシアの衛星国であった。
ウレオチェンサエテ(英語版) (Wreocensate): The Wrekin砦で知られる。
ヘースティンガス(英語版) (Haestingas): マーシアの隣にある小国。
デイアラ王国(英語版) (Deira): ノーサンブリア内の国。7世紀にノーサンブリアの支配を巡りバーニシアと争う。
バーニシア王国 (Bernicia): ノーサンブリア内の国。7世紀にノーサンブリアの支配を巡りデイアラと争う。
レッジド王国(英語版) (Rheged): ノーサンブリアの隣にある小国。
ゴドズィン王国(Gododdin): 現在のスターリング周辺からノーサンバーランドまでの、現在のロージアンにあたる地域の小国。
ポーウィス王国(英語版) (Powys)
グウィネズ王国(英語版) (Gwynedd)
歴史「暗黒時代」および「en:Anglo-Saxon England」も参照
アングロサクソン人の登場は5世紀くらいだと伝えられているが、実際のところは分かってはいない。伝承では南サクソンのエール、西サクソンのチェルディッチ、キュンリッチ父子、または史書『ブリトン人の歴史』に登場するヴォーティガンの宿敵ジュート人(ケント王国)の長ヘンギストなどが挙げられるが、どれも伝説的な人物像であり、ブリテン島に上陸した年月も考古学から出た年代の整合性が合わないでいる。しかしそれぞれが5世紀中頃から覇権を争ったものとは考えられている。彼等サクソン人は西進を続けるものの、ブリトン人の反撃を受け「バドン山の戦い」と呼ばれる激戦で大敗北、数世代に渡って膠着状態となった。この戦いはどこでなされたかは分かってはいないが、劣勢のブリトン人を指導したと伝えられる者がアーサー王のモデルとなったと考えられている。