七大貴族(ななだいきぞく、英:Seven Great Houses of Iran)は、サーサーン朝期の有力な貴族層を指す用語[1]。その多くは起源をアルシャク朝(アルサケス朝、パルティア)時代に遡るとされた。サーサーン朝の研究において重要視する学者がいる一方、常に使用される用語であるわけではない[注釈 1]。 ハプタ、あるいはハフト(hapta/haft、7)という数字は3、5と並び、インド・イラン人(アーリヤ人)の文化において重要な意味を持った[4]。ゾロアスター教やアフラ・マズダの信仰に関わる伝承には随所にこの数字が登場する。聖典『アヴェスター』はそれぞれ7つの章でできた3つのグループからなる全21巻本として成立したと伝わり[4]、世界は人間界フワニラサ(xvaniraθa)とそれを取り囲む6つの領域という7つのカルシュワル(Haft kar?var/ke?var)からなると理解された[5][4]。創世神話では神々は世界を7つの過程に分けて造り上げたとされ[6]、最高神アフラ・マズダは自らの聖霊を通して6柱の神格を生み出し、アフラ・マズダ自身と合わせた7柱の神格が世界を構成する7つの創造物を創造した[7]。そして預言者ザラスシュトラ(ゾロアスター)とその弟子たちも併せて「7人」であった[4]。サーサーン朝の創設者アルダシール1世がハフトバードの城を攻略した際にもまた、7人の有力者(メハーン, meh?n)を伴っていたと伝わる[4]。 この7という数字への神聖視はハカーマニシュ朝(アケメネス朝)時代には確固として存在した。『旧約聖書』「エズラ記」7:14には「あなた(ハカーマニシュ朝の王アルタシャスタ/アルタクセルクセス)は、自分の手にあるあなたの神の律法に照して、ユダとエルサレムの事情を調べるために、王および七人の議官によってつかわされるのである」という記載がある。また、ヘロドトスの『歴史』では、ハカーマニシュ朝の王位が簒奪者スメルディス(バルディヤ)に奪われた際に、それを排除するために7人の同志が集まってスメルディスを排除し、最後は計略によってダーラヤワウ1世(ダレイオス1世)が王位に就いたことが説明されている[8]。 7という数字と実際の数は厳密に対応しない場合もあり、フェルドウスィーが伝えるイランの英雄ロスタムの伝説では、ロスタムと共に10人の仲間がトゥーラーンの英雄アフラースィヤーブと戦っているが、彼らはたびたびhaft(7)と呼ばれている[4]。 この「7」という数字はサーサーン朝時代の有力な貴族に対しても適用された。タバリーによれば彼らは古代イランの王カイ・ヴィシュタースプ(Kay Vi?t?sp)によって7つの邦の領主として定められたという[4]。 実際にその「7つ」の家系をどのように定義するのかは曖昧である。エンサイクロペディア・イラニカにおいてはタバリーを引いて、カイ・ヴィシュタースプに領主として認められたと主張した次の7つの家系を挙げている。
ハプタ(7)
アルシャク朝とサーサーン朝の貴族家系
スーレーン
カーレーン
ジーク
「大貴族」として史料上に登場する家系/氏族は必ずしもこの一覧と合致せず、また全ての家系が常に同じように有力であったわけでもない。