七人の侍
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この項目では、日本の映画作品について説明しています。その他の用法については「七人の侍 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

七人の侍
Seven Samurai
ポスター
監督黒澤明
脚本黒澤明
橋本忍
小国英雄
製作本木莊二郎
出演者三船敏郎
志村喬
津島恵子
木村功
加東大介
宮口精二
稲葉義男
千秋実
土屋嘉男
藤原釜足
音楽早坂文雄
撮影中井朝一
編集岩下広一
製作会社東宝
配給 東宝
公開 1954年4月26日
1954年8月(VIFF
1955年11月30日
1956年7月
上映時間207分
製作国 日本
言語日本語
製作費2億1,000万円[1]
配給収入2億6,823万円[2]
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『七人の侍』(しちにんのさむらい)は、1954年に公開された日本時代劇映画である。監督は黒澤明、主演は三船敏郎志村喬モノクロスタンダードサイズ、207分。日本の戦国時代天正年間(劇中の台詞によると1586年[注釈 1])を舞台とし、野武士の略奪に悩む百姓に雇われた7人のが、身分差による軋轢を乗り越えながら協力して野武士の襲撃から村を守るという物語である。

当時の通常作品の7倍に匹敵する製作費を投じ、1年近い撮影期間をかけて作られ、興行的にも大きな成功を収めた[3][4]。複数カメラや望遠レンズの効果的使用、緻密な編集技法などを駆使して、クライマックスの豪雨の決戦シーンなどのダイナミックなアクションシーンを生み出した。また、アメリカ西部劇(特に黒澤が敬愛するジョン・フォード)の手法を取り入れ、綿密な脚本と時代考証により、旧来のアクション映画と時代劇にはないリアリズムを確立した。

本作は世界で最も有名な日本映画のひとつである。1954年の第15回ヴェネツィア国際映画祭では銀獅子賞を受賞した。国内外の多くの映画監督や作品に大きな影響を与えており、1960年アメリカ西部劇荒野の七人』としてリメイクされた。最高の映画のリスト(英語版)に何度も選出されており、2018年BBCが発表した「史上最高の外国語映画ベスト100」では1位に選ばれた[5]。外国語映画基準を超えてハリウッドを含む歴史上、すべての映画の中で最高の映画100選で7位に選ばれた[6]
あらすじ

前半部と後半部の間に5分間のインターミッション(途中休憩)を含む上映形式。前半部では主に侍集めと戦の準備が、後半部では野武士との本格的な決戦が描かれるが、「侍集め」、「戦闘の準備(侍と百姓の交流)」、「野武士との戦い」が時間的にほぼ均等であり、3部構成とする見方も可能。
前編志村喬千秋実木村功三船敏郎宮口精二加東大介侍(三船敏郎、加東大介、千秋実)と村人ら三船敏郎、宮口精二、千秋実

戦国時代末期のとある山間の農村。村人たちは、戦によりあぶれて盗賊と化した野武士(百姓たちは「野伏せり」と呼ぶ)たちに始終おびえていた。春、山に現れた野武士達の話を盗み聞いた者がおり、その年も麦が実ると同時に、40騎の野武士達が村へ略奪に来ることが判明する。これまでの経験から代官は今回も頼りにならないことは明白であり、村人たちは絶望のどん底に叩き落とされていたが、若い百姓の利吉は、野武士と戦うことを主張する。村人たちは怖気づいて反対するが、長老儀作は戦うことを選択し、「食い詰めて腹を空かせた侍」を雇うことを提案する。

力を貸してくれる侍を求めて宿場町に出た利吉・茂助万造与平の4人は木賃宿に滞在しながら、白米を腹いっぱい食わせることを条件として侍らに声をかけるが、ことごとく断られ途方にくれる。そんな中、近隣の農家に盗賊が押し入り、子供を人質にとって立てこもる事件が発生する。周囲の者が手をこまねく中、通りかかった初老の侍がに扮して乗り込み、盗賊を斬り捨てて子供を救い出す。侍は勘兵衛と名乗る浪人で、騒ぎを見ていた得体の知れない浪人風の男が絡んだり、若侍の勝四郎が弟子入りを志願したりする中、利吉が野武士退治を頼みこむ。勘兵衛は飯を食わせるだけでは無理だと一蹴、村の概要を聞くに仮に引き受けるとしても、侍が7人は必要だという。しかし、これを聞いていた同宿の人足たちが、これまで利吉ら百姓を馬鹿にしていたにもかかわらず、百姓の苦衷を分かっていながら行動しない勘兵衛をなじる。勘兵衛は翻意して、この困難かつ金や出世とは無縁の依頼を引き受けることを決意する。「この飯、おろそかには食わんぞ」

共に闘う侍を求める勘兵衛の下に、勘兵衛の人柄に惹かれたという五郎兵衛、勘兵衛のかつての相棒七郎次、気さくなふざけ屋の平八剣術に秀でた久蔵が集う。さらに利吉達の強い願いで、まだ子供だとして数に入っていなかった勝四郎も6人目として迎えられる。7人目をあきらめて村に翌日出立しようとしたところに、例の得体の知れない浪人風の男が泥酔して現れる。男は家系図を手に菊千代と名乗り侍であることを主張するが、勘兵衛らに家系図が他人のものであることを見破られてからかわれる。勘兵衛らは菊千代を相手にしないまま村に向かうが、菊千代は勝手について来る。

一行は村に到着するが、先に帰ってきていた万造が「侍が来たら何をされるかわからない」と、強制的に娘の志乃の髪を切って男装させてしまったこともあって、村人たちは怯えて姿を見せようとしない。一行がとりあえず儀作に面会する中、危急を知らせる板木を打つ音が鳴り響くや、野武士襲来と勘違いした村人は一斉に家を飛び出し侍に助けを求める。これは菊千代の仕業であった。侍たちと村人たちとの顔合わせを成立させたことで、菊千代は侍の7人目として認められる。勘兵衛たちは村の周囲を巡り、村の防御方法を考案し、百姓たちも戦いの為に組分けされ、侍達の指導により戦いの心得を教えられる。一方、勝四郎は男装させられていた志乃と山の中で出会い、互いに惹かれてゆく。そんな折、菊千代が村人らから集めたを侍らの元に持ち込んでくる。それは村人が落ち武者狩りによって入手したものだった。負け戦での辛酸を舐めてきた侍たちはこれを見て気色ばむが、菊千代は「お前たち、百姓を仏様だと思っていたか!百姓ほど悪ズレした生き物はないんだ!でもそうさせたのはお前ら侍だ!」と激昂する。菊千代は、侍にあこがれ村を飛び出した農民だったのだ。彼の出自と農民の事情を察した侍達は怒りを収める。

村人は侍の指導の下で村の防衛線を固めるが、小川の向こう側にある数軒の家はどうしても防衛線の外になってしまう。守りきれない離れ家は引き払って欲しいとの申し出を聞いた茂助は、自分たちの家だけを守ろうと結束を乱す。それに対し勘兵衛は抜刀して追い立て、村人に改めて戦の心構えを説く。
後編三船敏郎木村功、津島恵子村に攻め込む野武士ら戦いのシーン


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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