ポケットモンスターの地名の「チョウジタウン」については「ジョウト地方」をご覧ください。
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Caryophyllus aromaticus L.
Eugenia aromatica (L.) Baill.
Eugenia caryophyllata Thunb.
Eugenia caryophyllus (Spreng.) Bullock & S. G. Harrison
和名
チョウジノキ
クローブ
チョウジ
チョウコウ
英名
Clove
チョウジ(丁子、丁字)またはクローブ(英: Clove)は、フトモモ科の樹木チョウジノキ(学名:Syzygium aromaticum)の香りのよい花蕾である。原産地はインドネシアのモルッカ群島であり[3]、香辛料として一般的に使われるほか、生薬としても使われる。漢名に従って丁香(ちょうこう)とも呼ばれる。
名称乾燥したチョウジ(クローブ)。ちょうど丁の字や、錆びた釘の形に似ている。
チョウジの花蕾は釘に似た形、また乾燥させたものは錆びた古釘のような色をしており、中国では紀元前3世紀に口臭を消すのに用いられ、「釘子(テインツ)」の名を略して釘と同義の「丁」の字を使って「丁子」の字があてられ、呉音で「チャウジ」と発音したことから、日本ではチョウジの和名がつけられた[4]。フランス語で釘を意味するクル (Clou) から、仏名で「クル・ド・ジローフル」 (clous de girofle) と呼ばれ、英語名でこれが「クロウジローフル」(clow of gilofer)となり、略されて「クローブ」 (Clove) になった[4][5]。
日本における植物和名はチョウジノキ[1][4]。非常に強い香気を持っているので、百里香という別名もある。
栽培チョウジノキの花
モルッカ諸島の原産で、日本では植物園の温室などで育てられている[4]。おもにインドネシア、ザンジバル、スリランカ、モーリシャス、マダガスカル、コモロ、ペナン、ドミニカ[要曖昧さ回避]などで栽培されている。
もともとクローブはスラウェシ島の北東に位置するティドレ島とテルナテ島を含む5つの火山島にしか生えていなかった。[6]
チョウジノキは小高木の常緑樹で、種子から発芽して20年ほどで10メートルほどの高さに成長する。作物としてのチョウジは7?8年目頃から収穫が可能である。
熱帯多雨の地域が原産地であり、温室で十分に管理すれば栽培は可能であるが、露地植えでの商業栽培に適する地域は限られる。7月から9月と1月から2月につぼみを付け、年2回収穫を行う。花弁は本木の高い場所になるため、かつては高い作業やぐらをたて手摘みしていた。これが商品の価格の高さにも反映している。現在では枝や葉からもクローブオイルが抽出できるため、作業者が直接チョウジの木にのぼり枝ごと切り落とし作業する[7]。 おもには香辛料として知られ、花蕾には精油16 - 20%を含んでいて、薬用にも使われる[4]。精油の成分は、主にオイゲノール約80 - 90%前後を含んでいて、アセチルオイゲノール
チョウジの花(インドネシア・バリ島)
路上での丁子干し(バリ島)
花蕾と発育中の果実
利用
歴史日光で乾燥中のチョウジ丸に一つ丁子紋(日本の家紋)
紀元前3世紀、漢王朝の皇帝に謁見するものは口臭を消すためにチョウジを口に含んで噛む必要があった[8][9]。チョウジは1世紀までにローマ世界へと到達し、大プリニウスによって記述された[10]。
明らかに時代が確定した最初のチョウジの発見は、文献資料よりもかなり時代を下ったものである。2例がスリランカの貿易港で発見され、これらはおおよそ西暦900?1100年に遡る[11]。シリアにおいて紀元前1700年頃に遡ると以前報告された発見は、チョウジであるとはもはや考えられていない[10][11]。
紀元1000年頃、イブラヒム・イブン・ワシフ=シャーは「不思議物語集 Summary of Marvels」に次のように示した。
『インドに近いどこかの島に「クローブの谷」がある。商人であれ船乗りであれ、その谷に行った者も、クローブのなる木を見た者もいない。彼らに言わせると、クローブの実が売っているのは精霊なのだそうだ。その島に到着すると、船乗りたちは浜辺に商品を置いて船に戻る。翌朝になると、それぞれの商品の横にクローブの山ができている・・・・・・摘んだばかりのクローブはじつに美味らしい。島の住民はクローブを常食としているため、病気にかかることもなければ年老いることもない。』[6]
チョウジは、中世の間、もうかるインド洋海域交易(英語版)において、インドから大陸およびアフリカへの貿易を行うオマーン人の船乗りと商人によって取り引きされた[要出典]。
ヨーロッパには中国商人が絹などと共にセイロン島経由でもたらし、6?7世紀頃には貴族の間で珍重されるようになった。古くは原産地でチョウジの価値が把握されておらず、そのため中国商人たちが長く原産地を秘匿したまま交易商品として取り扱っていた。大航海時代になるとコショウ、ナツメグとともにスパイス貿易の中心的な商品となり一般にも出回るようになった。西欧がチョウジの原産地をようやく「発見」したのは1511年のポルトガル人デ・アブレウとセラウンのバンダ諸島発見以降である(ブルネイの歴史を参照)。