いちりゅうさい はるみ
一龍斎 春水
プロフィール
本名大久保 洋子[1]
(おおくぼ ようこ)(旧姓:麻上[2])
性別女性
出生地 日本・北海道小樽市[3]
出身地 日本・神奈川県藤沢市[1][4]
生年月日 (1952-07-10) 1952年7月10日(71歳)
血液型A型[1][5]
職業声優、ナレーター、講談師
事務所アクセント(声優)[6]
講談協会(講談)
配偶者あり
公式サイト ⇒http://yokoharumi.com/
公称サイズ(時期不明)[7]
身長 / 体重157 cm / 47 kg
活動
活動期間1970年代 -
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一龍斎 春水(いちりゅうさい はるみ、本名: 大久保 洋子(おおくぼ ようこ)、1952年7月10日[3][5] - )は、日本の女性声優、ナレーター、講談師。声優としてはアクセント[6]、講談師としては講談協会所属。北海道小樽市生まれ[3]、神奈川県[1]藤沢市出身[4]。デビューから2011年末まで、講談以外では麻上 洋子(あさがみ ようこ)[3][8][9]の名前で活動していた。
1992年、講談師の一龍斎貞水に入門し[1]、春水(はるみ)の号を受ける[4]。1996年に二ツ目に[1]、2004年真打に昇進した[1]。 子供の頃から松本零士ファンで、『奥様は魔女』でサマンサ役の北浜晴子に魅せられ声優になりたいと思った一番最初のきっかけだと語る。声で何かを表現することが好きで小学時代は放送委員、中学高校時代は放送部員であり[10]、ラジオドラマを作ったり、ディスクジョッキーの真似事をしていた[8]。 母は目が悪く父にソノシート付きの絵本を買ってもらったが、ソノシートをかけて絵本を見るうちに、文字、読みかたを覚えていき、小学校入学時には本を音読することが得意で、教師にも褒められ、自信にも繋がった[10]。 高校3年の時に「改めて私は何をしたいんだろうか」と考えていたところ「やっぱり声を使う仕事がしたい」と考えていた[10]。アナウンサーか声優かで迷っていたところアナウンサーの放送部の先輩に「アナウンサーは、書かれた文字をキチッと読んで、聞き手に伝える仕事だよ。けど声優は、文字を自分の感性でとらえて、それを聞き手に渡すんじゃないか」と言われて声優をやりたいと考えるようになった[8]。 神奈川県立鎌倉高等学校卒業[1][2]後に黒沢良が創設した声優養成所の一期生となる[10]。その後、養成所を主催していた新劇俳優・舞台演出家の早野寿郎に師事する[11][12]。 『ゼロテスター』のリサ役で初レギュラーに抜擢[10][13]。『フランダースの犬』でアロア役を3話まで務め、桂玲子に交代。これは裏番組『宇宙戦艦ヤマト』が3か月前から先行放送されていたためで、アロア、森雪ともに作品のメインキャラクターで、同じ役者が裏番組同士を掛け持つことを懸念したスタッフや所属事務所側の配慮から交代となった[要出典]。 『宇宙戦艦ヤマト』の放送終了後、納谷悟朗、木村幌に「お前も芝居やれ」と言われ、「わたしも芝居できなきゃ先輩たちに失礼だ」と思い、早野に会ってお願いし[12]、早野が主宰の劇団俳小の第1期生になり、約10年間、芝居をしていた[11]。その後、A&E[2]、NPSテアトルに所属していた[5]。 1978年8月に封切られた『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』では、前作の時の隊員同士という関係と異なり、古代進への愛があることから何気ない会話であっても微妙なニュアンスを作るのに苦労したと雑誌のインタビューで述べている[14]。 1979年 折からの第一次アニメブームの人気を受けて、ラジオ大阪のアニメトピアの初代パーソナリティを吉田理保子と共に担当。一挙に人気番組になる。アニメトピアのLPレコードも作成されている[15]。 1980年から1981年にかけてアニメトピアの成功を受けて、同局の人気ラジオ番組のJAM JAM OSAKAの月曜パーソナリティーを、まだ世間的には無名だった阿藤海と担当する。ここで阿藤から『こだぬきポン子』の渾名を付けられる。 声優専業時代にあったファンクラブ名は「こだぬき会」といい、そのスタッフには『月刊OUT』などで活躍していた者がいた。 歌手としても、ソロで『子猫のフーガ』や吉田理保子ともシングルレコード数枚を発売した。
来歴