一青窈
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一青 窈
出生名顏 窈
別名窈ちゃん、一青っち
生誕 (1976-09-20) 1976年9月20日(47歳)
出身地東京都 台湾育ち)
学歴慶應義塾大学環境情報学部卒業
ジャンルJ-POP
職業歌手作詞家俳優
活動期間2002年 -
レーベルコロムビアミュージックエンタテインメント(2002年 - 2009年)
フォーライフミュージックエンタテイメント(2009年 -2013年)
EMI RECORDS (2013年 -)
共同作業者武部聡志
小林武史
公式サイトhitotoyo.jp
デヴィッド・タオ井上陽水阿久悠

一青 窈(ひとと よう、1976年9月20日 - )は、東京都出身[1]の女性歌手、作詞家、女優。日本語北京語英語を話すトリリンガル。3児の母[2]。姉は女優・エッセイスト・歯科医の一青妙(ひとと たえ)。
来歴

東京都で生まれ、台湾に移る[1]。幼稚園卒園後に父を台湾に残し、母・姉と日本で生活することとなる[3]。小学生2年の時に父が癌で死去[3]。以降、母の姓の一青を名乗る。小学校高学年の頃に宮沢賢治の詩に触発され、詩を書き始める。神奈川県横浜市にある森村学園に初等部から通い、美術部とバスケットボール部に所属、生徒会では書記を務める。高校生の時に母も癌で亡くす[3]

半年の浪人期間を経て、AO入試慶應義塾大学環境情報学部(SFC=湘南藤沢キャンパス)に入学[注釈 1]。慶應義塾広告学研究会、ジャズ研究会、K.O.E.(アカペラサークル)に所属し、ストリートライブを行うなどした。K.O.E.で現ゴスペラーズ北山陽一と出合い、自作の詩を見せたところ「お前の詩は面白い。FAXしてくれたらいくらでも曲を付けるから歌え」と提案され、以降自分の詩で歌うこととなった[3]

デビューする前は車椅子利用者向け情報誌『WaWaWa』で詩を提供したり、同誌編集長・阿部恒世とともに福祉施設でのライブ活動を行ったりしていた。

その後、福祉イベントで歌っているところをスカウトされ、2002年に「もらい泣き」でデビュー[4]。同曲がヒットし日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞、ファーストアルバム『月天心』が注目を集め数々の音楽賞や新人賞を受賞。2003年、第54回NHK紅白歌合戦に初出場。2004年、「ハナミズキ」が大ヒット。

映画『珈琲時光』主演で女優デビューし、日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。

初のベストアルバム『BESTYO』を発表時の2006年、日本人アーティストとして初めてカーボンオフセットライブを逗子海岸の音魂 (Otodama Sea Studio) で行い、現在(2009年)まで毎年開催。その『BESTYO』初版もカーボンオフセットとなっている。

台湾でもCD・DVDが発売されており、『もらい泣き』『大家』『月天心』のジャケットは台湾オリジナル仕様となっている。台湾のキリンビールのCMにも出演し、台湾の愛唱歌『望春風』が使われた。

舞台演劇の音楽劇「箱の中の女」(演出岩松了、2008年12月公演)の主演を務めた。

デビュー15周年を迎た2008年にシングル『七変化』、オールタイムベストアルバム『歌祭文 ?ALL TIME BEST?』をそれぞれリリース[5][6]

デビュー20周年のアニバーサリーライブを2022年10月30日、中野サンプラザホールにて開催。同年12月には、8年ぶりとなるオリジナルアルバム『一青尽図』をリリース[7][8][9]
人物・エピソード

父は台湾人、母は日本人[10]。父は九?の金鉱経営で成功し、台湾の5大財閥に数えられた顔一族の長男・顔恵民釧路で木村炭鉱に出資し現在の太平洋興発の創設に関わる。戦前から戦後にかけて日本に長く滞在していた父と母が出会い、台湾で妙と窈が生まれた[11]中国語の漢字名は顔窈(イエン・ヤオ)で、「」は父親の姓。「一青」は母親の姓。母の姓である「一青」は母の出身地である石川県に地名としても存在する[3][注釈 2]。姉は女優・エッセイスト・歯科医の一青妙(ひとと たえ)。

日本語北京語英語を話せるトリリンガルである。

身長155cm[10]。バスケットボール部には小中高一貫して所属し、動きが素早かったことから「ジジ(『魔女の宅急便』に登場する黒猫)」というあだ名を付けられた。現在でもバンドメンバーとバスケットボールをすることがある。

亡くなった母親について、「二十一世紀の音霊」にて「想いを巡らすだけで涙がでてくる」と述べており、(父親への想いを歌った曲は『大家』『ぱぱへ』などあるのに対し)母親への想いを初めて歌った曲は9thシングル『つないで手』に収録されている「ささやき並木」がである。上記の経緯から中能登町内のJR七尾線金丸駅能登部駅良川駅能登二宮駅や町外の宇野気駅七尾駅で代表曲の一つ「ハナミズキ」が接近メロディーとして使用されている。 

音楽の原点として、幼少期に父親から送られた「ディズニーのお話しレコード」をあげている。母親が闘病していた際に母親とともに行ったミュージカルから音楽療法に興味を持ち、大学入試時には音楽療法についての論文を書いた。病院に野外音楽堂を建てるのが夢であるという。音楽プロデューサーの武部聡志は「一青の詞は日本一」と評した。作詞はすべて実体験に基づいているという。

少女時代からの中森明菜のファンであり、現在でもカラオケではよく中森の曲を歌う。台湾のR&B歌手デヴィッド・タオ(陶普jの熱烈なファンで彼の影響も受けている。尊敬する人物は井上陽水根本敬阿久悠谷川俊太郎

座右の銘は「来る者拒まず、去る者追わず」。

環境問題に強い関心を持ち、ap bank fesなどの環境問題をテーマにしたライブに積極的に参加し、その知識や環境問題への姿勢からap bank dialogueでは出演アーティストの中で唯一ゲストとして出演する。

建築に興味があり、『ダ・ヴィンチ』などの誌上で坂茂藤森照信隈研吾といった幾人かの著名な建築家との対談を交わしている。

普段から自転車に鍵を掛けず自転車が盗難に遭うと「私が強く信じていなかったから」と考えることにしており、現在まで6台盗まれているという[12]


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