一色頼行
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 凡例一色頼行
時代鎌倉時代 - 南北朝時代
生誕不明
死没延元2年/建武4年(1337年
別名通称:一色太郎
官位右馬権頭
幕府室町幕府
主君足利尊氏
氏族一色氏
父母父:一色公深
兄弟頼行、範氏
子行義
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一色 頼行(いっしき よりゆき)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将足利氏の家臣。一色氏2代当主。室町幕府関東廂結番四番人。

建武の新政から離反し、九州落ちした足利尊氏に従う。

延元元年(1336年)、南郷城を占拠していたが、恵良惟澄によって部下の代官・三村氏を討ち取られる[1]

延元二年(1337年)、山崎原で膠着。同年4月19日、九州探題となった異母弟・一色範氏と共に肥後国に兵を進めるが、待ち受けていた南朝方の阿蘇惟澄菊池武重の軍勢に犬塚原の合戦で、橘薩摩弥八、喜息惟長らとともに討死[1]

子に行義がいたが、弟・範氏が跡を継いで3代当主になった。範氏の母が今川国氏の娘であることから、もともと頼行は庶子扱いされていたようであり、範氏の家系を嫡流とみなしていたものと思われる。
脚注[脚注の使い方]^ a b 中世の阿蘇社と阿蘇氏. 戎光祥社. (2019年3月1日) 











一色氏2代当主


公深

頼行

範氏

直氏

範光

詮範

満範

義貫

教親

義直

義春

義秀

義有

義清

義幸

義道

義定

義清 | 断絶


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