一眼レフカメラ
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日本で最初のライカ判一眼レフカメラ「アサヒフレックス

一眼レフカメラ(いちがんレフカメラ、英:Single-lens reflex camera 、SLR)とはスチルカメラの構造による分類のひとつで、撮影に使用するレンズと撮像面(フィルムもしくは固体撮像素子)の間に(ミラー)を置き、実際に撮影されるイメージを光学ファインダーで確認することができるものをいう。撮影用の光学系とファインダー用の光学系が一系統であるため(一眼)、ファインダーから見える像が撮影される写真の像と一致する。

ドイツ語のシュピーゲル・レフレックス(Spiegel-reflex-kamera 、鏡の反射)という言葉通り、反射鏡を使ってファインダースクリーンに結像させる機構が特徴であり、レフの語源もここにある。

フィルムカメラ、デジタルカメラの両方に存在し、20世紀中盤以降から現在に至るまで、レンズ交換可能なカメラの主流となっている方式である。

なお、一眼レフと異なる構造を持つカメラとしては、二眼レフカメラレンジファインダーカメラなどが挙げられる。また、ミラーレス一眼カメラデジタルカメラの一種であり、構造が異なるため、ここでは取り上げない。
利点と欠点

利点としては、

撮影用レンズの交換をするだけで、ファインダーもそれに対応する。

視差(パララックス)がないので、実写像と同等の像を見ながら構図を決めることができる。

撮像面と光学的に同一の位置にフォーカシングスクリーンを設置することにより、厳密なピント合わせとボケの推測が可能となる(二眼レフの場合、ファインダー用レンズと撮影用レンズ間のパララックスを排除できず、またファインダー用レンズに絞り機構が無い場合は被写界深度を考慮した作画の確認ができない)。

AF機構としては位相差AFが使用されるため、動体撮影時でも高精度に追従し続けられる。

欠点としては、

反射鏡やペンタプリズムなどの内部機構の分だけカメラ本体が大きく、かつ重くなること。

反射鏡が上下作動する空間が必要となり、広角レンズなど特にバックフォーカスが短いレンズに使用制限が発生すること。

撮影の瞬間(露光時)にミラーが跳ね上がるため、ファインダーから像が消えてしまう。

撮影時、ミラーの跳ね上がりにより、振動と音が発生し、手ブレの原因になる。

これらの特徴のため、初期の一眼レフカメラはレンジファインダーカメラに不向きな接写用・望遠用といった特殊用途カメラとして使用されることが多かった。

現在はほとんどの機種にペンタプリズム(廉価機種ではペンタミラー)が装着されている(アイレベル)。ただし、これは一眼レフの機構として必須ではなく、初期の頃にはプリズムを持たないウエストレベルファインダーが主流であった[注釈 1]
歴史
黎明期

一眼レフカメラの光学機構の源流は、カメラの前身であるカメラ・オブスクラの時代にさかのぼる。カメラ・オブスクラの中には光路の途中に反射鏡を設置し、レンズの光学軸に対して90度の方向に像を結ばせるようになっていたものがあるのである[1]

ダゲレオタイプの発明以降のカメラの歴史に限ってみると、一眼レフカメラの最初期のもののひとつは1861年にトーマス・サットン(英語版)によって考案された物だと考えられる。それ以前のカメラは像面にフォーカシングスクリーン(ピントグラス)を取り付けてレンズの操作を行った後、その場所にスクリーンと交換する形で感光材料を設置するものであったが、サットンは光路上に可動式の鏡を取り付けカメラボディ上面のスクリーンに像を結ばせるという工夫をし、これにより撮影直前まで像を見つづけることができるようになった。

初の実用一眼レフカメラとされているのは1885年にカルビン・レイ・スミスが発売した「パテント・モノキュラー・デュプレックス」である。このカメラはミラーをシャッターとして使う構造である。その後1890年代にかけてさまざまな一眼レフカメラが作られた。二眼レフカメラが登場したのもこのころである。
一眼レフカメラの確立

1890年代も終わるころになるとフォーカルプレーンシャッターの登場によって一眼レフカメラの高機能化が加速し、現代に通ずる一眼レフカメラの形式が確立してくる。

これらの一眼レフカメラは写真乾板を用いる木製箱型大型カメラでイギリスアメリカなどで作られている。このころの代表的機種としては1898年登場の「グラフレックス」などがある。イギリスではジェームズ・F・シウのフォーカルプレーン・レフレクターが1902年に発売されて以来1904年にはマリオンのソホ・レフレックス[2][3]A・アダムスのマイネックス[2]やヴァイデックス[3]ニューマン&ガーディアのスクエア・レフレックス[3]、1908年にホートンのフォールディング・レフレックス[3]ソロントン・ピッカード[2]のルビー・レフレックス[3]と競合各社が追随した。またドイツを中心としてボディーを折畳式としたフォールディングタイプの一眼レフカメラも多く作られ、実例としてはメントール・カメラファブリーク・ゴルツ&ブロイトマンのメントール・フォールディング・レフレックス[4]イハゲーのパテント・クラップ・レフレックス[4]ツァイス・イコンのミロフレックス[4]が挙げられる。
ロールフィルムを用いた一眼レフカメラ1938年製のエクサクタ・タイプ3。ロールフィルム・タイプの発売から数年でライカ判に移行したことがわかる。

ナチス政権下のドイツにおいて、ドレスデンイハゲー1933年に発表[5]1934年に発売した「スタンダード・エクサクタ」がロールフィルムを用いた近代的一眼レフカメラの最初である[5]。このカメラはバヨネットマウントによるレンズ交換式で、フォーカルプレンシャッターを装備しており、フィルムをレバー巻き上げし、裏蓋を開閉できるなど現代的一眼レフカメラの先鞭をつけた[5]127フィルムを使用し4×6.5cm判で8枚撮影できた[5]

35mmフィルムを使用した世界最初の一眼レフカメラはソ連レニングラードのGOMZ(国立光学器械工場、後のロモ)が1935年に発表[6]1936年に発売した「スポルト」とされている[注釈 2]。2枚の金属板を使い、ミラーアップ時に先幕が閉じ、続いて後幕が縦走行するという、縦走り方式のフォーカルプレーンシャッターを搭載、シャッター速度も最高1/500秒から最低1/25秒まで変えることができ、フィルム送りとシャッターチャージは上部の縦方向のダイヤルにより同時に行われる。


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