一畑電気鉄道株式会社
The Ichibata Electric Railroad Co., Ltd.
一畑電気鉄道本社
種類株式会社
略称一畑、一畑電鉄
本社所在地 日本
〒690-0874
島根県松江市中原町49
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度28分4.2秒 東経133度2分42.5秒 / 北緯35.467833度 東経133.045139度 / 35.467833; 133.045139
一畑電気鉄道株式会社(いちばたでんきてつどう、英: The Ichibata Electric Railroad Co., Ltd.)は、島根県東部を中心に事業を展開している、一畑グループ各社を統括する事業持株会社である。直営事業としては不動産業などを展開している。本社は島根県松江市中原町49。 従前より一畑グループをまとめる統括企業としての機能を担っており、かつては鉄道事業やバス事業、タクシー事業などを直営で行っていた。しかし1971年にタクシー事業を、2000年にバス事業を分社化。そして2006年に鉄道事業などを分社化した際に事業持株会社へ移行した。そのため現在は不動産業などの一部を直営で行っているほかは大部分が子会社での運営となり、グループを統括する機能が主となっている。 社名は、出雲市にある一畑寺(一畑薬師)への参詣者輸送を目的とした鉄道を計画したことに由来している。 なお、かつて直営していた事業についての詳細は一畑電車や一畑バスなど、各事業子会社の記事を参照のこと。
概要
歴史
1912年(明治45年)4月6日 - 一畑軽便鉄道株式会社を創立[2]。
1914年(大正3年)4月29日 - 出雲今市(現在の電鉄出雲市) - 雲州平田間を開業。
1915年(大正4年)2月4日 - 雲州平田 - 一畑間を開業。
1925年(大正14年)7月10日 - 社名を一畑電気鉄道株式会社に改称(10日実施、15日届出)。
1927年(昭和2年)10月 - 直流1500V電化。
1928年(昭和3年)
4月5日 - 小境灘(現在の一畑口) - 北松江(現在の松江しんじ湖温泉)間を開業。
7月14日 - 島根鉄道が荒島 - 出雲広瀬間を開業。
1930年(昭和5年)2月2日 - 川跡 - 大社神門(現在の出雲大社前)間を開業。
1932年(昭和7年)12月12日 - 大社宮島鉄道が出雲今市 - 出雲須佐間を開業。
1934年(昭和9年)9月4日 - 一畑ケーブルより鉄道敷設権(簸川郡東村地内 鋼索線)譲受[3][2]。
1936年(昭和11年)9月15日 - 鉄道免許失効(簸川郡東村地内 鋼索線 指定ノ期限マテニ工事施工認可申請ヲ為ササルタメ)[4]。
1938年(昭和13年)6月9日 - 大社宮島鉄道は出雲鉄道に改称。
1944年(昭和19年)
12月10日 - 小境灘 - 一畑間を営業休止。
10月31日 - 伯陽電鉄(米子市 - 法勝寺間、後の日ノ丸自動車法勝寺電鉄線)と広瀬鉄道が合併し山陰中央鉄道となる。
1948年(昭和23年)4月1日: 山陰中央鉄道の広瀬線を島根鉄道として分離。
1954年(昭和29年)
5月1日 - 一畑電気鉄道は出雲鉄道を吸収合併し、立久恵線(非電化)とする。
12月1日 - 一畑電気鉄道は島根鉄道を吸収合併し、広瀬線(直流600V電化)とする。
1960年(昭和35年)
4月26日 - 休止中の一畑口 - 一畑間を廃止。
6月19日 - 広瀬線を廃止。
10月 - 一畑パーク(遊園地)開園。
1962年(昭和37年)3月28日 - 一畑自動車道(一畑口 - 一畑薬師)開業。
1964年(昭和39年)7月19日 - 災害のため立久恵線を休止。
1965年(昭和40年)2月18日 - 休止中の立久恵線を廃止。
1968年(昭和43年)3月 - 出雲市自動車部から市営バス事業を譲受。
1971年(昭和46年)12月 - タクシー事業を松江一畑タクシー(現松江一畑交通)、出雲一畑タクシー、平田一畑タクシー(ともに現出雲一畑交通)に譲渡。
1979年(昭和54年)
8月 - 一畑パーク閉園。
9月24日 - 一畑自動車道廃止、一般自動車道事業から撤退。
1995年(平成7年)12月1日 - 隠岐営業所を隠岐一畑交通として分社。出雲管内の大田線(9号線経由)を口田儀の越堂(こえどう)までに短縮し田儀線に変更。
1996年(平成8年)5月1日 - 三成営業所を仁多交通(現奥出雲交通)と日ノ丸自動車(旧横田町域・現在は奥出雲交通が運行)にそれぞれ移管。
1998年(平成10年)10月1日 - 平田市(現出雲市)の路線を廃止。