一瀬隆重
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いちせ たかしげ
一瀬 隆重
生年月日 (1961-01-18)
1961年1月18日(63歳)
出生地兵庫県神戸市
国籍 日本
職業映画プロデューサー
ジャンル映画
テレビドラマ
オリジナルビデオ
活動期間1984年 -
主な作品
帝都物語
リング』/『らせん
呪怨』シリーズ
THE JUON/呪怨』シリーズ
輪廻』/『ノロイ』/『
犬神家の一族』(2006年)
GOEMON』/『カルト
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一瀬 隆重(いちせ たかしげ、1961年1月18日 - )は、日本の映画プロデューサーである。映画製作会社の株式会社オズ代表取締役、オズラ・ピクチャーズ社長(現在は廃業)。ハリウッドの代理人はICMパートナーズ

兵庫県神戸市出身。関西学院中学部・高等部卒業。関西学院大学中退。
経歴

少年時代から多数の映画に刺激を受け、大学時代の1980年に製作・監督を務めて44分のカラー
8ミリ自主映画『ウルトラQ No.29「闇が来る!」』[1][2] を制作(製作=いちせ会)、1981年には原作・製作・監督を務めて54分の8ミリ自主映画『理想郷伝説』を制作(製作=いちせ会、1981年8月14日中野公会堂で公開[3])した。

1983年に大学を中退して上京し『空気の缶づめ』(1983年)[4]、『夢で逢いましょう』(1984年[5] などの8ミリ映画を制作。

1984年、23歳の時に『星くず兄弟の伝説』(手塚眞監督)でプロデューサーを務め本格的にデビューした。初のメジャー作品で、エグゼクティブプロデューサーを務めた1988年公開の『帝都物語』は、興行収入18億円(配給収入10.05億円)を記録し注目される存在となる。

1989年に株式会社オズ、1992年にはロサンゼルスにオズラ・ピクチャーズを設立。以降、中田秀夫清水崇とのコンビでジャパニーズホラーを躍進させ、2004年、『呪怨』をリメイクしてプロデュースした『THE JUON/呪怨』が全米興行収入1位を記録する大ヒットとなり、ハリウッドからも注目される日本人プロデューサーのひとりとなった。

2005年20世紀フォックス本社とファーストルック契約を締結。日本の映画人とハリウッドスタジオの契約は、1926年(大正15年)に阪東妻三郎率いる阪東プロとユニバーサル社との配給契約以来。

2012年7月6日、株式会社オズが経営不振により法的整理の手続きに入ったと報道された。[6] これに伴い公式ブログやウェブサイトも閉鎖され、2015年9月9日付で、破産手続き開始の決定を受けた[7]

2015年6月13日、屍憶 THE BRIDEのFacebook ページ[8] で、Yahoo!台湾の映画ページに掲載されている一瀬隆重プロデューサーからのメッセージ動画[9] が紹介された。

人物

著書『ハリウッドで勝て!』では日本映画界の現状に苦言を呈し、業界の異端児と称されることもあった。芸術性の高い映画よりも娯楽映画として世界で興行的にも成功する映画の制作を追求し、日本以外では、タカ・イチセ(Taka Ichise)名義で活動している。
担当作品
映画
製作

夢みるように眠りたい(1986年)

精霊のささやき(1987年)

BEAT(1998年)

リング(1998年)

らせん(1998年)

発狂する唇(1999年)

もういちど逢いたくて/星月童話(1999年)

THE JUON/呪怨(2004年)

呪怨 パンデミック(2006年)

GOEMON (2009年)

ゴースト もういちど抱きしめたい(2010年)

ザ・グラッジ 死霊の棲む屋敷 The Grudge (2020年)

製作総指揮

ネクロノミカン(1993年)

刺青 IREZUMI(1994年)

Fist of the North Star 北斗の拳(1995年、実写版)

クライング・フリーマン(1996年、実写版)

クリスマス黙示録(1996年)

L.A.マフィア戦争/大殺戮(1996年)


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