一橋大学
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一橋大学

兼松講堂(国登録有形文化財
大学設置1920年
創立1875年
創立者森有礼
学校種別国立
設置者国立大学法人一橋大学
本部所在地東京都国立市2丁目1番地
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度41分39.87秒 東経139度26分34.38秒 / 北緯35.6944083度 東経139.4428833度 / 35.6944083; 139.4428833座標: 北緯35度41分39.87秒 東経139度26分34.38秒 / 北緯35.6944083度 東経139.4428833度 / 35.6944083; 139.4428833
学生数6,287
キャンパス国立(東京都国立市)
千代田(東京都千代田区、学術総合センタービル内)
小平国際(東京都小平市
学部商学部
経済学部
法学部
社会学部
ソーシャル・データサイエンス学部
研究科経営管理研究科
経済学研究科
法学研究科
社会学研究科
言語社会研究科
国際・公共政策研究部・教育部
ソーシャル・データサイエンス研究科
ウェブサイトhttps://www.hit-u.ac.jp/index.html
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一橋大学(ひとつばしだいがく、英語: Hitotsubashi University)は、東京都国立市2丁目1番地に本部を置く日本国立大学1875年創立、1920年大学設置。東京商科大学 (とうきょうしょうかだいがく、英語: Tokyo University of Commerce) の後身であり、1962年まで大学令で法律的に東京商科大学であった。

戦前の旧制時代からの歴史を持つ旧官立大学の一校であり、指定国立大学法人に指定されている。英QS世界大学ランキングによると、一橋大学は世界で481位に位置している。一橋大学は商学などに特化しており、医学理工学部がないにもかかわらず、この順位はグローバル観点からから見ても客観的に高い位置にあることを示している。[1]
概説
大学全体国立キャンパス本館

一橋大学は森有礼福澤諭吉[2]渋沢栄一の援助を得て[3]1875年明治8年)に開いた商法講習所を源流とする日本で最も古い社会科学系の大学である。第二次世界大戦前には商学専門の官立大学(旧制東京商科大学)として開設されていた。森有礼は、幕末期ロンドン大学に学び、のち初代米国代理公使としてワシントンに滞在した。英米両国では実業家官僚政治家に劣らず活動していること、国家独立の基礎は経済の富強にあって、そのためには経済人の育成が急務だと痛感したこと、それらが一橋大学の学校設立の端緒となっている。
建学の精神(校訓、理念、学是)

沿革から、産業界の指導者を育成するという建学理念を持つ。19世紀イギリスの論客トーマス・カーライルの著作『過去と現在』("Past and Present") から採られた言葉「キャプテンズ・オブ・インダストリー (Captains of Industry)」[4] という言葉は一橋大学における事実上の校是となっている。
教育および研究
少人数教育
一橋大学では少人数教育を重視している
[5]。全学部の入学定員の合計は1学年950人強[6]。1875年開設以来の卒業生の数は7万人程度と比較的少ない[7]。現在でも、あまり規模が大きくない大学であるが、1980年以前頃までは、さらに少ない学生数であった。戦前の学生数は大学本科1学年280名前後、大学予科1学年200名前後、付属専門部1学年200名前後、商業教員養成所1学年35名前後であり、大学本科全体で合わせて700人から1,000人程度、学園全体で2,400人程度であった[8][9]。戦後は付属大学予科や付属専門部を吸収して拡張し、1学年440名(1959年)から490名(1963年)程度に増加した[10][11]。他の国立大学文系学部と同様に団塊世代が大学に進学する1965年以降大幅に定員が増え、現在では学部生1学年約950人程度となっている[12]
ゼミナール
少人数教育における特色としては、特に必修のゼミナール制度が挙げられる。このゼミナール制度はベビーブームの時代にも教員一人に対して10人前後の学生という形態を変更しなかった。現在も10人前後でのゼミが行われている。またこのゼミナールでは、学問だけでなく全人格的指導を行っているのも特徴であるとされる[13]。学生は3, 4学年の2年間を通じて、同じゼミに所属することとなる。課外でのレクリエーション、ゼミ合宿、卒業後の定期的な会合などが行われるゼミも多い。
学部間の壁が薄い
戦前は東京商科大学という単科大学であったこともあって、学部間の壁があまりない。そのため一般の授業については、他学部の科目を原則自由に履修することができる。さらに他学部の専攻を副専攻とすることができる副専攻プログラムや、他学部への転学部制度もある[14]。ゼミナールについても、副ゼミナール制度などを利用することにより、他学部のゼミを履修することができる。また学部によって、使用される建物が違うということもなく、使用されるシラバス・時間割も全学部共通のものである。1年次の語学のクラスも全学部の学生により構成され、他学部の学生と交流する機会も多い。
国際色ある教育
戦前から外国人教師を任用するなど国際色ある教育が伝統[15]で、現在500名を超える留学生が在籍しており、文部科学省大学国際戦略本部強化事業にも採択されている。大学に在学しながら、海外の大学に留学し、その際授業料・旅費・生活費が全額給付されるという一橋大学海外留学奨学金制度もある。また授業の一環として夏休み等に海外の大学に語学留学する講義も開講されている。
学風および特色
官学化に反する学風
産業界の指導者を育成するという建学理念があり、そして実際にも卒業生の多くが産業界で活躍し、従来官界、法曹界に進むものは多くはなかった。また1909年には東京帝国大学に統合し、東京帝国大学法科大学商科とすると決定した文部省に対し、学生、教員、同窓会が抗議、
緒方竹虎武井大助らがリーダーとなり学生が総退学決議をなし、これに折れた文部省が決定を撤回し、その結果、現在も一橋大学が存続しているという経緯がある。そこで、卒業生は「官僚等の養成を目的に設立された旧帝国大学とは違う」という考え方を持っている[16]。ただ、現在では法曹界や官界に進む卒業生も増えてきている[16]。特に法科大学院ができてからは大学の公式のプログラムにより法曹養成が行われており、公共政策大学院も設置されている。
学生の自由を重んじる
現在の大学の名称が学生の投票により決められ、また学長選において学生の投票を最後まで認めていた大学であるという事実等から関係者は「学生の自由を重んじる校風をもっている」と考えており[17]、現在でも学長選・副学長選では学生による参考投票が行われている[18]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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