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出典検索?: "一条内経"
凡例一条内経
時代鎌倉時代後期
生誕正応4年7月17日(1291年8月12日)
死没正中2年10月1日(1325年11月7日)
別名号:芬陀利華院関白
官位従一位、関白、内大臣
主君後二条天皇→花園天皇→後醍醐天皇
氏族一条家
父母父:一条内実
母:一条実経の娘(一条家経の異母妹)
兄弟内経、鷹司冬教室
妻西園寺公顕の娘
子経通
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一条 内経(いちじょう うちつね)は、鎌倉時代後期の公卿・歌人。内大臣・一条内実の子。官位は従一位・関白。一条家4代当主。号は芬陀利華院関白(ふんだりかいん かんぱく)。 正安元年(1301年)に元服して翌年に公卿に列する。嘉元2年(1304年)、父の急死によって14歳で一条家を継いだ。『玉葉和歌集』以下の勅撰和歌集や『文保御百首
経歴
『増鏡』第十三「秋のみ山」には、文保2年(1318年)3月の後醍醐天皇即位時の行列で花山院家定と行列の序列を巡る争いが見える(この時の内経の官位は正二位行権大納言兼左大将)。文保3年(1319年)には従一位・関白・藤氏長者に昇った。
一条家の菩提所として東福寺に芬陀院(ふんだいん)を建立した。正中2年(1325年)、35歳で病死。法号は芬陀利華院。
群書類従には、弘安8年(1285年)亀山上皇から弘安礼節の編纂を命じられた担当者として花山院家定・二条資季と共に名前を挙げられているが、いずれも弘安8年当時に活躍していた人物ではないために疑問視されており、その編纂経緯に関しては不明である。
系譜
父:一条内実(1276-1305)
母:一条実経の娘
妻:西園寺公顕の娘
長男:一条経通(1317-1365)
表
話
編
歴
藤氏長者
飛鳥時代
藤原鎌足 669
中臣意美麻呂 669-698
奈良時代
藤原不比等 698-720
藤原房前 720-737
藤原武智麻呂 737
藤原豊成 737-757
藤原仲麻呂 757-764
藤原豊成 764-766
藤原永手 766-771
藤原良継 771-777
藤原魚名 778-782
藤原田麻呂 782-783
藤原是公 783-789
平安時代
藤原継縄 789-796
藤原内麻呂 796-812
藤原園人 812-818
藤原冬嗣 818-826
藤原緒嗣 826-843
藤原良房 843-872
藤原基経 872-891
藤原良世 891-897
藤原時平 897-909
藤原忠平 909-949
藤原実頼 949-970
藤原伊尹 970-972
藤原頼忠 972-974
藤原兼通 974-977
藤原頼忠 977-986
藤原兼家 986-990
藤原道隆 990-995
藤原道兼 995
藤原道長 995-1017
藤原頼通 1017-1064
藤原教通 1064-1075
藤原師実 1075-1094
藤原師通 1094-1098
藤原忠実 1098-1121
藤原忠通 1121-1150
藤原頼長 1150-1156
藤原忠通 1156-1158
近衛基実 1158-1166
松殿基房 1166-1179
近衛基通 1179-1183
松殿師家 1183-1184
近衛基通 1184-1186
鎌倉時代
九条兼実 1186-1196
近衛基通 1196-1202
九条良経 1202-1206
近衛家実 1206-1221
九条道家 1221
近衛家実 1221-1228
九条道家 1228-1231
九条教実 1231-1235
九条道家 1235-1237
近衛兼経 1237-1242
二条良実 1242-1246
一条実経 1246-1247
近衛兼経 1247-1252
鷹司兼平 1252-1261
二条良実 1261-1265
一条実経 1265-1267
近衛基平 1267-1268
鷹司基忠 1268-1273
九条忠家 1273-1274