一座(いちざ)とは、朝廷における宮中座次の最上位のことである。本来は太政官の筆頭大臣である太政大臣が一座に座り、不在の場合は左大臣が座ることになる。摂政・関白が設置されると、摂政・関白が一座に座った。ただし、摂政・関白が務める大臣職よりも上位の大臣が存在したり、摂政・関白が現在大臣の職に無い(前大臣)場合には、当該摂政・関白を一座に定める宣旨が出されることになっていた。これを一座宣旨(いちざのせんじ)と称した。 豊臣秀吉(藤原秀吉[注釈 1])の一座宣旨(奉者:大外記)[1] 権大納言藤原朝臣淳光
一座宣旨の例
(訓読文)権大納言(柳原)藤原朝臣淳光宣(の)る。勅(みことのり)を奉(うけたまわ)るに、関白(藤原秀吉)をして、前(さきの)関白(二条昭実)の上に列(つら)ならしむべし者(てへり)。天正十三年七月十一日 掃部頭兼大外記造酒正助教(押小路)中原朝臣師廉 奉(うけたまわ)る。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 天正十三年七月十一日段階では、近衛家に猶子となっており、豊臣の氏は未だ賜わらず藤原となる。
出典^ 「足守木下家文書」所載
参考文献
黒板伸夫「一座」「一座宣旨」(『平安時代史事典』(角川書店、1994年) ISBN 978-4-040-31700-7)
関連項目
藤原師実
藤原兼家
一上(摂政関白・太政大臣を除く最上位)