一夕会
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出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2021年10月)

一夕会(いっせきかい)は、1929年昭和4年)5月19日日本陸軍内に発足した[1]佐官級の幕僚将校らによる会合。陸軍士官学校14期生から25期生を中心に組織された。
概略

一夕会は二葉会[2]木曜会のメンバーが合同してできたものとされる。その2つの会合が直接統合したというわけではなく、木曜会の会合に二葉会の永田鉄山東條英機が顔を出すようになったのを契機として、それらの会は継続されたまま、新たに一夕会という会合が持たれたという方が近い。実際、一夕会成立後も二葉会や木曜会の会合は見られる。永田鉄山、小畑敏四郎岡村寧次が主導し、永田が中心的存在であったとされている。

二葉会メンバーの方が年齢も地位も高く、木曜会の鈴木貞一がこれらの勢力を取り込み軍内での勢力拡大を企図したことや、永田が地道な研究活動により改革を実現するよりも、自身や自身を含む勢力が権力を持つことによって目標を達成していく志向を持ったことなどが、一夕会成立の要因とされる。

一夕会には多くの陸軍高級エリートが所属していたが、優等卒業者は多く参加していたものの首席卒業者は鈴木率道のみであった。
会員

陸士14期 
小川恒三郎[3]

陸士15期 河本大作山岡重厚

陸士16期 永田鉄山小畑敏四郎岡村寧次小笠原数夫磯谷廉介板垣征四郎黒木親慶[4]

陸士17期 東條英機渡久雄工藤義雄飯田貞固

陸士18期 山下奉文岡部直三郎、中野直三

陸士20期 橋本群草場辰巳七田一郎

陸士21期 石原莞爾横山勇町尻量基

陸士22期 本多政材北野憲造村上啓作鈴木率道鈴木貞一牟田口廉也

陸士23期 清水規矩岡田資根本博

陸士24期 沼田多稼蔵土橋勇逸深山亀三郎加藤守雄

陸士25期 下山琢磨武藤章田中新一富永恭次

経過

人事問題を研究していた二葉会と満蒙問題を研究していた木曜会の流れを汲む組織であるからには、当然その2つが中心的な話題となる。第1回の会合では以下ような決議がされた。
陸軍の人事を刷新し諸政策を強力に進める

満蒙問題の解決に重点を置く

荒木貞夫真崎甚三郎林銑十郎の三将軍を盛りたてる

まず陸軍中央の重要ポスト掌握に向けて動いた。最初の会合の直後である1929年(昭和4年)5月21日、岡村寧次が全陸軍の佐官級以下の人事に大きな権限をもつ、人事局補任課長に就任の辞令を受けた。岡村は直属の上司の人事局局長に小磯國昭を任命させるよう動いたがこれには失敗する。同年8月の人事異動の後、岡村は人事局の課員に七田一郎、加藤守雄、北野憲造らを就任させた。岡村の後任の人事課長には磯谷廉介が就任し、加藤守雄が高級課員となっている。翌1930年8月、永田鉄山が予算配分に強い発言力をもち、全陸軍におけるもっとも重要な実務ポストである軍務局軍事課長に就任。渡久雄が参謀本部欧米課長に就任。

これより前、1928年(昭和3年)には関東軍高級参謀であった河本大作が張作霖爆殺事件(満洲某重大事件)を起こしていたが、同年10月に石原莞爾が関東軍主任参謀に、翌1929年(昭和4年)5月には、板垣征四郎が河本大作の後任の関東軍高級参謀になる。そのころには加藤守雄が補任課員であり、その働きかけによるものとみられている。

1931年(昭和6年)8月には、鈴木貞一が軍事課支那班長に、東條英機が参謀本部動員課長に、武藤章が同作戦課兵站班長に就任するなど、満洲事変開始期には、陸軍中央部の主要中堅ポストは一夕会メンバーで占められていた。また、1931年8月に荒木貞夫が教育総監部本部長に就任した。

陸軍省

軍事課 課長・永田鉄山、高級課員・村上啓作、支那班長・鈴木貞一、外交班長・土橋勇逸、課員・下山琢磨鈴木宗作(木曜会)

補任課 課長・岡村寧次、高級課員・七田一郎、課員・北野憲造

徴募課 課長・松村正員(二葉会)

馬政課 課長・飯田貞固

動員課 課長・沼田多稼蔵

整備局 局員・本郷義夫(木曜会)


参謀本部

動員課 課長・東條英機

庶務課 庶務班長・牟田口廉也

作戦課 兵站班長・武藤章

欧米課 課長・渡久雄

支那課 支那班長・根本博

運輸課 課長・草場辰巳

参謀本部部員・岡田資清水規矩石井正美(木曜会)、澄田?四郎(木曜会)


教育総監部

第二課 課長・磯谷廉介

庶務課 課長・工藤義雄(二葉会)

砲兵監部部員・岡部直三郎

教育総監部部員・田中新一


航空本部

第一課 課長・小笠原数夫


内閣資源局

企画第二課 課長・横山勇


関東軍

高級参謀・板垣征四郎

作戦主任参謀・石原莞爾

奉天特務機関長・土肥原賢二(二葉会)

そして彼らは満蒙問題の解決や高度国防国家の建設に乗り出すことになる。メンバーの努力で、満洲問題は武力解決の必要があることが陸軍内で認識されるようになり、陸軍中央部では永田鉄山、鈴木貞一らが動き、関東軍では石原莞爾、板垣征四郎らが動くことで満洲事変の準備が整えられた。1930年(昭和5年)11月、永田軍事課長は満洲出張の際に、攻城用の24糎榴弾砲の送付を石原莞爾らに約束し、翌1931年(昭和6年)7月、奉天の独立守備隊兵営内に据え付けられた。

1931年(昭和6年)12月に荒木貞夫陸軍大臣就任、1932年(昭和7年)1月に真崎甚三郎参謀次長就任、同5月に林銑十郎教育総監就任で、三将軍擁立は実現された。

しかし実際に満洲事変の処理で各人が忙しくなると、会合を持つのが困難になった。そして翌1933年(昭和8年)には、対ソ方針と対支方針の違いで陸軍士官学校の同期で二葉会以前より深い親交のあった永田と小畑の反目が激しくなる[5]。同じく同期の岡村寧次が仲裁に入るも、岡村が上海派遣軍参謀副長になったこともあり、この2人の溝は埋められなかった。これを統制派皇道派の萌芽とする意見もある。


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