一ノ宮
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この項目では、江戸時代以前の日本で最も社格の高い神社について説明しています。

最初に生まれた皇子を指す一宮(いちのみや)、第一皇子、一の御子(いちのみこ)については「皇子」をご覧ください。

最初に生まれた皇女を指す女一宮(おんないちのみや)については「皇女」をご覧ください。

その他の一宮については「一宮 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

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全国一宮鎮座地(讃岐一宮田村神社香川県高松市)にて撮影、2007年)

一宮(いちのみや)とは、ある地域の中で最も社格の高いとされる神社のことである。一の宮、一ノ宮、一之宮などとも書く。
概要

通常単に「一宮」といった場合は、令制国の一宮を指すことが多い。一宮の次に社格が高い神社を二宮、さらにその次を三宮のように呼び、更に一部の国では四宮以下が定められていた事例もある。『「一宮」の選定とその背景』[注釈 1]では、選定基準を規定した文献資料は無いが、一宮には次のような一定の形式があるとしている。
原則的に令制国1国あたり1社を建前にした。

祭神には国津神系統の神が多く、開拓神として土地と深いつながりを持っており、地元民衆の篤い崇敬対象の神社から選定されたことを予測できる。

全て『延喜式神名帳』の式内社の中から選定された1社であるが、必ずしも名神大社に限られていない。(異説あり。後述の「変遷と争い」を参照。)

必ずしも神位の高きによらないで、小社もこれに与かっている。

また、『中世諸国一宮制研究の現状と課題』[1]では、諸国一宮が少なくとも次のようなそれぞれ次元を異にする3つの側面を持つとしている。
氏人や神人などの特定の社会集団や地域社会にとっての守護神。

一国規模の領主層や民衆にとっての政治的守護神。

中世日本諸国にとっての国家的な守護神。

律令制において国司は任国内の諸社に神拝すると定められており、通説では一宮の起源は国司が巡拝する神社の順番にあるとされている。律令制崩壊の後も、その地域の第一の神社として一宮などの名称は使われ続けた。現在ではすべての神社は平等とされるが、かつて一宮とされた神社のほとんどが「△△国一宮」を名乗っている。また、全ての一宮が加盟しているわけではないが、これら過去に一宮とされた神社は「全国一の宮会」を結成している。

江戸時代初期の神道者・橘三喜延宝3年(1675年)から23年かけて全国の一宮を参拝し、その記録を『諸国一宮巡詣記』全13巻[注釈 2]として著し、これにより多くの人が一宮の巡拝を行うようになった[要出典]。現在、一宮巡拝を行っている人々の集りとして「一の宮巡拝会」が結成されており、「全国一の宮会」と連携して一宮巡拝普及のイベントを行っている。
歴史
起源

江戸時代後期の国学者である伴信友は、天保8年(1837年)の著書 『神社私考』[注釈 3]の中で、「一宮を定めた事は信頼できる古書類には見えず、いつの時代に何の理由で定めたか詳しく分からない」と前置きした上で「『延喜式神名帳』が定められた後の時代に神祇官あるいは国司などより諸国の神社へ移送布告などを伝達する神社を予め各国に1社定め、国内諸社への伝達および諸社からの執達をその神社に行わせたのではないか。また、それらの神社は便宜にまかせ、あるいは時勢によるなどして定められた新式ではないか」と考察しながらも、伴信友は自説に対して「なほよく尋考ふべし」と書き添えた。

現在、一宮の起源は「国司が任国内の諸社に巡拝する順番にある」とするのが通説になっている。『朝野群載 巻22』に所収された「国務条々事」には国司が任国でなすべき諸行事や為政の心得が42箇条に渡って記されているが、この中に「神拝後択吉日時、初行政事、云々」、「択吉日始行交替政事、択拝之後、擇吉日、可始行之由牒送、云々」と言う条文があり、国司は赴任すると管内の主要神社へ参拝し、それら神社に幣を奉るのが最初の執務であるとされていた。この国司初任神拝は、同じ『朝野群載 巻22』に所収された「但馬初度国司庁宣」や「加賀初任国司庁宣」にも見ることが出来る。

『国司神拝の歴史的意義』[注釈 4]では、10世紀末に成立した『兼盛集』に見える駿河国司の富士山本宮浅間大社神拝の記述、天元5年(982年)の『太政宦符案』[2]に越前国司が初任に際して越前国一宮である氣比神宮に神拝している記述、『時範記承徳3年(1099年)2月の条において国司が因幡国一宮である宇倍神社を起点に国内諸社を巡拝している記述などをあげ、国司神拝が任国における就任儀礼として10世紀から11世紀初頭までに一般化しつつあったと述べている。


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