「二つの中国」とは異なります。
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出典検索?: "一つの中国"
一つの中国
各種表記
繁体字:一個中國
簡体字:一个中国
?音:y?ge Zh?ngguo
発音:イーガジョングオ
日本語読み:ひとつのちゅうごく
英文:One-China policy
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一つの中国(ひとつのちゅうごく、繁体字: 一個中國、簡体字: 一个中国)とは、正統性を持った「中国」の国家は一つしか存在せず、中国と台湾は一つの国家が不可分に統治しなければならないとする政策的立場および主張である。
1949年に中国が中華人民共和国と台湾の分断状態となったことで発生し、両政府はこの立場に基づいて統一(中国統一)政策を展開してきた。特に2000年代以降の中華人民共和国は、これを自国の核心的利益であると主張し、「中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府である[1]」との意味合いから、諸外国に対してこの考えに同調するように強い圧力をかけている。また国際社会では、中華民国を国家承認する国家が少ないため、「一つの中国」は中華民国を国家として承認しないという要求と同義として解釈される傾向が強い。 かつて、国際連合安全保障理事会常任理事国であった中華民国は、中華人民共和国と『中国唯一の正統政府である』との立場を互いに崩さなかった。1949年から中華人民共和国側が国際連合総会に「中国代表権問題」を提起し、長きに亘って否決された。しかし、1971年のアルバニア決議後に中華民国が国際連合を脱退、新たに加入し常任理事国となった中華人民共和国が提唱する「一つの中国」の概念が国際社会に宣布された。 2005年には、台湾「独立」阻止を念頭に反分裂国家法を制定した。2023年現在はこの原則により、中華人民共和国と国交を結ぶ国は中華民国と正式な国交を結ぶことができない。また、中華民国と正式な国交を結ぶ場合は、中華人民共和国と断交しなければならない[2]。「二つの中国」も参照 中華民国も過去に「中国を代表する政府は、中華民国である」との立場から「一つの中国」政策を打ち出していた。
中華人民共和国が主張する「一つの中国」
中国大陸に存在する政権は世界でただ一つだけあって、台湾は中国の一部分であり、中華人民共和国政府が全中国を代表する唯一の合法的政府である。
中国大陸と台湾島は一つの中国であり、中国の主権と領土の分割は許さない。
現在まだ統一が達成されていないことに、双方は共に努力すべきで、一つの中国の原則の下、対等に協力し、統一を協議する。
一つの国家として主権と領土の分割は認めず、台湾の政治的地位は一つの中国を前提として一国二制度の適用を検討する。
台湾の反応
?介石時代
?介石は双十協定で分裂の解消に失敗してから国共内戦の延長としてしか両政府の関係を定義できず、「漢賊不兩立
?経国時代
中華人民共和国のケ小平は改革開放政策を打ち出し、毛沢東時代のように資本主義体制の中華民国を敵視せず、「台湾解放」という従来の姿勢を転換し、「平和統一」「一国二制度」を呼び掛け始めた。しかし、当時の中華民国政府は、強権的だった?介石の死後、重しがとれたことで民主化要求が抑え切れないという不安定な状況にあった。そのため、?経国総統は中華人民共和国の呼びかけに応えることをためらい、「不接觸、不談判、不妥協的(接触しない、交渉しない、妥協しない)」という「三不政策
李登輝時代
1990年以降、基本方針は大きく変化していく。1990年には行政院大陸委員会と海峡交流基金会と国家統一委員会が設置され、1991年に国家統一綱領を定める。「一つの中国」の意味を曖昧にしつつ、「法統」を放棄して事実上の法理独立、つまり憲法改正と民主化へ歩みだした。しかし「一つの中国」を原則として否定もできなかったため、中華民国憲法増修条文には「統一前の需要により、憲法を以下のように修正する」との一文を前文に挿入した。1999年の李登輝総統による「特殊な国と国の関係」発言に至ると、中華人民共和国側はこれを「両国論(二国論)」と呼び、「一つの中国」を放棄したものと解釈して強く反発した。
1990年には「一國兩府(一国二政府)」
1991年には「一個中國,兩個對等政治實體(中国語版)(一つの中国、二つの対等な政治実体)」
1993年には「一個中國指向的階段性兩個中國政策(中国語版)(一つの中国に向けた段階的な二つの中国政策)」
1999年には「特殊的國與國關係(中国語版)(特殊な国と国の関係)」
2013年5月に李登輝は、「私がはっきりさせておきたいのは、『台湾は中国の一部』とする中国の論法は成り立たないということだ。四百年の歴史のなかで、台湾は六つの異なる政府によって統治された。もし台湾が清国によって統治されていた時代があることを理由に『中国(中華人民共和国)の一部』とされるならば、かつて台湾を領有したオランダやスペイン、日本にもそういう言い方が許されることになる。いかに中国の論法が暴論であるかがわかるだろう。もっといおう。たしかに台湾には中国からの移民者が多いが、アメリカ国民の多くも最初のころはイギリスから渡ってきた。しかし今日、『アメリカはイギリスの一部』などと言い出す人はいない。台湾と中国の関係もこれと同じである」と述べている[3]。
陳水扁時代
1999年、民主進歩党(民進党)は2000年総統選挙に向けて現実路線に転換し、台湾前途決議文を採択し、台湾独立を盛り込んだ党綱領を棚上げした。そして、陳水扁政権は李登輝時代の中華民国政府の立場を継承する姿勢を見せ、さらに中国大陸との「統合論」や「未来における『一つの中国』」という考え方を示した。これは、「一つの中国」という立場を共有した上での対話を求めてきた中華人民共和国政府に譲歩しつつ、中華民国の地位を認めさせようとする戦略(「強本西進」政策)からであった。