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ウルガタ(羅: Vulgata)は、ラテン語: editio Vulgata(「共通訳」の意)の略で、カトリック教会の標準ラテン語訳聖書のこと。1545年に始まったトリエント公会議においてラテン語聖書の公式版として定められた。伝統的にヒエロニムスによる翻訳とされるが、実際にはより複雑な成立過程をたどっている。.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ラテン語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。ウルガタ
歴史
ウルガタの成立から中世までカラヴァッジオによる絵画「執筆する聖ヒエロニムス」
ヒエロニムス訳以前にも、editio Vulgata , 『ウルガタ』という名称は用いられていたが、これは古ラテン語聖書を指していた。つまり、すでにヒエロニムスの時代において聖書は完全なものから断片的なものまで多くのラテン語訳が存在していたのである。ヒエロニムスの業績はそれらのラテン語訳をふまえた上で、原語を参照しながらラテン語訳の決定版を完成させたことにある。
ローマに滞在していたヒエロニムスは紀元382年、時の教皇ダマスス1世の命によってラテン語訳聖書の校訂にあたることになり、初めに新約聖書にとりかかった。四福音書は、古ラテン語訳をギリシャ語テキストとつきあわせて誤っている部分を訂正した。他の文書に関してはほぼそのまま古ラテン語訳を用い、ここにヒエロニムスによる新約聖書の最初の校訂版が完成した。
386年、パレスチナに移ったヒエロニムスは旧約聖書の校訂にとりかかった。はじめに七十人訳聖書とオリゲネスのヘクサプラ(六欄対照旧約聖書)を使って、ヨブ記、詩篇、歴代誌、伝統的にソロモンに帰属される諸書、イザヤ書の40?55章を訳した(385年頃?89年頃)。その後、パレスチナのユダヤ人教師の手を借り、ヘブライ語を学んでヘブライ語でかかれたマソラ本文からの訳に取り組み(390年頃?405年頃)、旧約を完成させた。旧約聖書のうちでいわゆる「第二正典」に関しては、トビト記、ユディト記、またダニエル書とエステル記の補遺を急ぎ足で訳したのみで、その他には手をつけなかった。なお、ヒエロニムス訳の詩篇は3種存在する。それは(1)ローマ詩篇:七十人訳による詩篇の古ラテン語訳を改訂したもの、(2)ガリア詩篇:古ラテン語訳を、マソラ本文に対応させるため改訂したもの、(3)ヘブライ詩篇:マソラ本文から直接訳したものである。
このようにして成立したヒエロニムスによる聖書のラテン語訳がいわゆる『ウルガタ』であり、意味の明快さと文体の華麗さにおいて、従来のラテン語訳をはるかにしのぐ出色の出来となった。5世紀には『ウルガタ』は西方世界では名が通るものとなり、中世初期には西欧の全域で広く用いられるようになっていた。