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ヴォロガセス6世
アルサケス朝パルティア王
在位208年 - 228年
死去228年
王朝アルサケス朝
父親ヴォロガセス5世
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ヴォロガセス6世(Vologases VI、? - 228年、在位:208年 - 228年)は、アルサケス朝パルティアの王。兄弟であるアルタバヌス4世に押され、その支配領域はバビロニア地方に限られていた。アルタバヌス4世の没後、ヴォロガセス6世もまたサーサーン朝の創始者アルダシール1世によってその地位を追われ、パルティア王国は滅亡することになる。 ヴォロガセス5世の息子として生まれた。208年に父の跡を継いでパルティア王となったが、弟のアルタバヌス4世はこれを不服としてただちに反乱に打って出た。アルタバヌス4世は王を名乗り、メディア地方を拠点にパルティアの大部分を制圧し、ヴォロガセス6世は何とかバビロニアを維持するに過ぎなくなった。 だが、ローマ帝国の皇帝カラカラが217年にアルタバヌス4世の拠点であったメディアを攻撃したため、ヴォロガセス6世の地位はしばらくの間安定した。カラカラが死に、次のローマ皇帝マクリヌスが即位してもなお戦闘が継続したが218年にはローマ軍は敗れて撤退した。 224年、パルティアの従属王国でありアルタバヌス4世の治下にあったペルシス王国
来歴
ここにパルティアは滅亡し、サーサーン朝ペルシア(ササン朝ペルシア)が新たな帝国を形成することになる。
先代
ヴォロガセス5世アルサケス朝パルティア王
208年 - 228年次代
(滅亡)