ヴォルフガング・ヴィントガッセン(Wolfgang Windgassen, 1914年6月26日 - 1974年9月8日)は、ドイツのテノール歌手。戦後最大のヘルデンテノール(ワーグナー歌いのテノール)。
フランスのオート=サヴォワ県アヌマッスに生まれる。父フリッツ(Fritz Windgassen)もテノール歌手として高名な人物で、母もソプラノ歌手という声楽一家に育つ。シュトゥットガルト音楽演劇大学でアルフォンス・フィッシャーとマリア・ランフォツのレッスンを受けた後、1939年にプフォルツハイム歌劇場でプッチーニの歌劇『蝶々夫人』のピンカートン役を歌ってデビューを果たす。
第二次世界大戦中、兵役についていたヴィントガッセンは、復員後の1945年、シュトゥットガルト州立歌劇場(ヴュルテンベルク州立歌劇場)に歌手として就職、死に至るまでこの歌劇場をホームグラウンドとして活動する事になる。当初はイタリア・オペラのレパートリーを中心に歌っていたが、1950年にはリヒャルト・ワーグナーの楽劇『ニーベルングの指環』の第1夜『ワルキューレ』のジークムント役を歌い、さらに1951年のバイロイト音楽祭の再開に際し『パルジファル』のタイトル・ロールに抜擢される。1953年からは『ローエングリン』と『指環』のジークフリート役もバイロイトで披露、大成功をおさめた。
彼の名を一躍有名にしたのは、同じく世界有数のドラマティック・ソプラノとして知られたビルギット・ニルソンとのコンビによる『トリスタンとイゾルデ』であり、これはカール・ベームの指揮とともにバイロイトの歴史に名を残すこととなった。
ヴィントガッセンは1970年までバイロイトへの出演を続ける一方、1958年から録音が始められたジョン・カルショー
(John Culshaw)プロデュース、ゲオルク・ショルティ指揮の『指環』でもジークフリートを歌い、ウィーン国立歌劇場やメトロポリタン歌劇場などの世界有数の一流歌劇場にも客演した。1967年にはビルギット・ニルソンとともに初来日、ピエール・ブーレーズ指揮、ヴィーラント・ワーグナー演出で『トリスタンとイゾルデ』のタイトルロールを演じている。1970年にはホームグラウンド、シュトゥットガルト州立歌劇場の監督に就任、演出の分野に進出してムソルグスキーの『ボリス・ゴドゥノフ』などの作品を手がけたが、1974年に心臓発作で急逝した。その少し前に、ベーム指揮の映画版『こうもり』のオルロフスキーという意外な役に挑み、これが残された最後の姿となった。
更新日時:2016年3月28日(月)07:57
取得日時:2018/06/25 22:20