ヴォクリューズ県
Vaucluse
ヴォクリューズ県章
位置
概要
県番号84
地域圏プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール
県庁所在地アヴィニョン
郡庁所在地アプト
カルパントラ
郡3
小郡24
コミューン151
県議会議長モーリス・シャベール
共和党
統計
人口
国内50位 (2010年)
555,240人
人口密度156人/km2
面積13,567 km2
1 「French Land Register data」(1平方キロ以上の湖沼、エスチュアリー、氷河などの水面積除く。
テンプレートを表示
ヴォクリューズ県またはヴォークリューズ県[1](ヴォクリューズけん、ヴォークリューズけん、Vaucluse)は、フランスのプロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏の県である。 ヴォクリューズとは、プロヴァンサル語のla Vau-cluso(ラテン語でVallis Clausa、「閉ざされた谷」を意味する[1])をフランス語化したもので、その谷からヴォクリューズの水源(fr
由来
県の制定以来、ヴォクリューズ県全体評議会で用いられる綴りはdepartement de Vaucluseである[3]。しかし、国家地名委員会が定めた綴りは、国家地理情報委員会(fr
)によれば、departement du Vaucluseである[4]。実際、県名は同名の村、ヴォクリューズにちなんで名づけられている。ヴォクリューズは1945年から現在まで正式名称をフォンテーヌ・ド・ヴォクリューズとしている。村は絵のように美しいヴォクリューズの谷にちなんで改名された。
名称はこうして、元の歴史的な面積と符合しない自然的要素(山、川など)からもたらされた。県の名前は、フランスにヴネサンと教皇領アヴィニョン、アプトとソー伯領がフランスに併合されてから名づけられた。国会は、1790年8月と11月の2度にわたって上記の領土併合を拒否していた[5]。2つの教皇領の愛国者たちは代表を選出し、ベダリドにあるサン・ローラン教会前に1791年8月に集まった[6]。彼らの大多数はフランス併合を支持した。15万2919票のうちフランス併合賛成は10万1046票だったのである[7]。この出来事は、「自己決定の権利」を最初に表明したものだとみなされている[8]。既成事実を掲示して、9月14日、憲法制定国民議会はアヴィニョンとヴネサンはいまや「フランス帝国の一部」だと宣言した[8]。
1793年6月25日、ヴォクリューズ県が新設された[9]。これらの背景については「フランス革命」も参照。
地理県の地図
ガール県、アルデシュ県、ドローム県、アルプ=ド=オート=プロヴァンス県、ヴァール県、ブーシュ=デュ=ローヌ県と接している[10]。
県の北部にあるヴァルレアス郡は、郡の四方がドローム県に囲まれた、文字通りの飛び地となっている。
ヴォクリューズ県の地形は、山と丘、平野と台地が交互に続く。最も重要なのはモン・ヴァントゥの南と西に広がる平野で、コンタ平野には県人口の多数が暮らしている。平野は西のローヌ川から南のデュランス川、そしてヴォクリューズ山地(最高峰は1256mのサン・ピエール峰)まで広がっている。一帯は非常に肥沃な土壌である。コンタ平野は北東端が石灰岩質の地形と境界を接しているが、これはアルプス山脈が最も南西に伸びた地点である。
「プロヴァンスの巨人」と呼ばれるモン・ヴァントゥは標高が1912mある、ヴォクリューズの風景を支配する存在である[10]。モン・ヴァントゥの特別な植物相や生物多様性は、1990年に生物圏保護区として登録するようUNESCOを動かした。山地の大規模な植生は主として針葉樹である。県南部のリュベロン山地は複雑な生態系を抱えている。これがリュベロン地域圏自然公園の創設につながった。最高地点はムール・ネグル山の1125mである。
河川は石灰岩質の台地を刻み、ネスク渓谷やルールマラン谷といった、様々な風景を生み出している。