ヴォイテク
Wojtek
ポーランド兵と共に写るヴォイテク(1942年)
生誕1942年
イラン ハマダーン
死没1963年12月2日
スコットランド エディンバラ
所属組織ポーランド陸軍
軍歴1942年 - 1947年
最終階級伍長
除隊後エディンバラ動物園へ入園
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ヴォイテク(ポーランド語: Wojtek[1] [?v?jt?k] 1942年 - 1963年12月2日)は、第二次世界大戦中にポーランド軍に所属したシリアヒグマ
(英語版)。連合軍における正式階級は伍長。「兵隊クマ」としてモンテ・カッシーノの戦いにおいて、ヴォイテクは弾薬運搬作業に力を貸したことで知られる。1942年、イランのハマダーン付近で、現地の少年が親を猟師に撃たれて亡くしたヒグマの赤ん坊を発見した。少年はそれを肉の缶詰2、3個程と引き換えにポーランド人難民に譲渡したが、まもなく難民の一行の手には余るようになり、近くに駐屯していたポーランド陸軍に引き取られた。
そのクマは1歳にも満たなかったため、当初は固形の餌をうまく飲み込むことができず、コンデンスミルクを空のウォッカの瓶に入れて与えられた。彼は「ヴォイテク」と名づけられた。「ヴォイテク」はポーランドの一般的な男性名「ヴォイチェフ」の愛称形であるが、もとの「ヴォイチェフ」の原義は「戦士」「武人」であり、「戦を楽しむ者」「微笑む戦士」といった意味となる。
軍歴レスリング遊びに興じる様子砲弾を担ぐヴォイテクをかたどった第22輸送中隊の部隊章
ヴォイテクは兵士たちとのレスリング遊びに興じ、挙手の敬礼を覚えた。彼は兵士や一般人らの注目を集め、間もなく付近に駐屯していた全部隊の非公式のマスコットとなった。そのおかげでポーランド陸軍に正式に徴兵され、ポーランド第2軍団
(英語版)第22弾薬補給中隊に配属された。彼は部隊とともにイラクに移動し、シリア、パレスチナやエジプトを経由して、南イタリアに入った。輸送船で動物を運ぶことは禁じられていたため、裏技としてヴワディスワフ・アンデルス中将の計らいでヴォイテクに伍長の階級が与えられ、彼専用の軍籍番号と軍隊手帳が発行され、さらに、タバコ、現金も支給され渡航が許可された。果物やマーマレード、ハチミツ、そしてシロップを食し、時々ご褒美として、最も好んでいたビールをもらっていた。またタバコを好んで吸ったり食べたりしたという[2]。
正式に兵士として従軍した彼は、他の兵士とともにテントの中で、あるいは特別製の木枠に入って眠った。この木枠はトラックで輸送された。多くの証言によれば、モンテ・カッシーノの戦いにおいては部隊の一員として弾薬を運び、足場の悪い山岳地帯でも決して弾薬箱を落とすことは無かったという。
モンテ・カッシーノ戦の終結後、ポーランド軍の司令部はヴォイテクの人気を認め、「砲弾を持つクマをかたどった紋章」を第22中隊の公式シンボルとすることを承認した(その時までに、中隊は第22輸送中隊に改称された)。
戦後に送られた。第22輸送中隊はダンズ近くのハットン村に駐屯し、付近の住民や報道の間で人気者になり、ヴォイテクはスコットランド・ポーランド文化協会の名誉会員に選ばれた。
1947年11月15日の動員解除の後、エディンバラ動物園に入園、そこで余生を過ごし、時々訪れるジャーナリストや元ポーランド軍兵士の何人かはヴォイテクにタバコを投げ与えていた[3]。