ヴェーザー演習作戦
戦争:第二次世界大戦(西部戦線)
年月日:1940年4月9日 - 6月10日
場所:デンマーク・ノルウェー
結果:ドイツの勝利・デンマークとノルウェーの占領
交戦勢力
ドイツ国 ノルウェー
デンマーク
イギリス
フランス共和国
指導者・指揮官
ニコラウス・フォン・ファルケンホルスト
レオンハルト・カウピッシュ
ハンス=フェルディナント・ガイスラー
アルフレート・ザールヴェヒター
ギュンター・リュッチェンス
エデュアルト・ディートル クリスチャン・ラーケ
オットー・ルーゲ
カール・グスタフ・フライシャー
ヴェーザー演習作戦(ヴェーザーえんしゅうさくせん、ドイツ語: Unternehmen Weserubung)は、第二次世界大戦中の1940年4月にナチス・ドイツが実行したノルウェーとデンマークへの侵攻作戦。 1940年4月9日(ヴェーザー日)早朝にドイツ軍はデンマークとノルウェーに侵攻した。侵攻部隊のノルウェー上陸予定時刻(ヴェーザー時)はドイツ時間5時15分(ノルウェー時間4時15分)と定められた。 侵攻の表向きの理由は、フランスとイギリスが両国の中立を犯して占領を計画していたことに対する予防的な措置であるとされた。侵攻後、ドイツの大使はデンマークとノルウェー政府に対し、ドイツ国防軍はフランスとイギリスによる侵略から両国の中立を守るためにやってきたのだと述べた。 デンマークとノルウェーの地理や位置、気候は大きく異なっていたため、実際の軍事作戦は大きく異なったものとなった。デンマークは侵攻初日の4月9日に、クリスチャン10世とデンマーク政府は条件付で降伏した。5月下旬までノルウェー北部ではイギリス・フランス・カナダ・ポーランド連合遠征部隊とノルウェー軍がドイツ軍に対して戦闘を続けていたが、フランスではドイツ軍が英仏軍左翼を破って英仏海峡に到達する状況で、5月25日には連合国派遣軍のノルウェーからの撤退が決定された。連合国派遣軍の撤退とともに、ノルウェー政府と王家および一部のノルウェー軍はイギリスに亡命した。撤退作戦は6月8日に完了し、国内残留ノルウェー軍は6月10日に降伏した。 英仏は1939年9月にドイツとの戦争を始めたが、ドイツ本国に侵攻して戦争を終了させる計画はなく、主に経済的にドイツを締め上げる方策が検討された。その中で注目されたのは、戦争経済に必要な資源の中で、ドイツは鉄鉱石と石油を完全に輸入に頼っていることであった。1938年にドイツは約2200万トンの鉄鉱石を輸入していたが、戦争の勃発とともに1000万トンしか輸入できなくなったが、このほとんどは、スウェーデン産であった。スウェーデン産鉄鉱石は、夏季は、ボスニア湾のルーレオ港から積み出され、冬季は、その4/5はノルウェーのナルヴィク港から、1/5はスウェーデン南部のオクセレスンド(Oxelosund)港から積み出されていた。ナルヴィク経由の鉄鉱石輸送はノルウェーの領海内を航行するため、ノルウェーの中立を侵害しない限り妨害することは出来なかった。英国のチャーチルは終始一貫して鉄鉱石輸送ルートを叩く案の熱心な支持者であった。 ノルウェーは戦争の開始とともに中立を表明し、ドイツはこれを支持したが、中立が侵害された場合は必要な措置をとると言明した。この表明は他の中立国に対しても同様に表明されたものである。実際のところ、当初ドイツにはノルウェーに侵攻する意図や計画はなかった。 1939年10月、ドイツの海軍総司令官エーリヒ・レーダー元帥はノルウェーにイギリスの基地が出来ることによる危険性や、そうなる前にドイツ軍が占領出来るかどうかということをアドルフ・ヒトラーと議論した。海軍はノルウェーを占領することでその周辺海域も支配下に置け、将来イギリスに対する作戦を行う潜水艦の基地として利用できると主張した。しかし、その時は陸軍や空軍は興味を示さなかった。ヒトラーも北欧諸国が中立政策を維持していたこともあり侵攻することは当初考えておらず、フランス侵攻作戦(Fall Gelb)の準備に注力するよう指示しただけであった。 11月下旬、イギリス戦時内閣
概略
背景