ヴェローナ=ヴィッラフランカ空港
Verona Villafranca Airport
Aeroporto di Verona-Villafranca
W
チェックインエリア
方向 長さ (m) 表面
04/22 3,068m アスファルト
ヘリパッド
番号 長さ×幅 (m) 表面
H1 35m×26m コンクリート
統計(2018年)
旅客数3,459,807人 +11.6%
貨物取扱量3,943,42トン -1.5%
発着回数32,647回 +7.4%
リスト
空港の一覧
テンプレートを表示
ヴェローナ=ヴィッラフランカ空港(ヴェローナ=ヴィッラフランカくうこう、英:Verona Villafranca Airport、伊:Aeroporto di Verona-Villafranca)あるいはウァレリウス・カトゥルス空港 (Valerio Catullo Airport) と呼ばれる空港はイタリア共和国ヴェネト州ヴェローナ県ヴィッラフランカ・ディ・ヴェローナに位置する国際空港である。 ヴィッラフランカ空港は元々ヴィッラフランカ空軍基地として第一次世界大戦中に軍用空港として建設された空港であった。その後1910年代初頭に民間空港となりローマへの定期便と北ヨーロッパへのチャーター便が発着を開始した。 1970年代後半に向けてヴェローナ県、ヴェローナ市、地元商工会議所による最初のコミュニティプロジェクトの下、ヴィッラフランカ空港に旅客ターミナル、事務所、そしてハンドリング施設が建設された。経営協会"Aeroporto Valerio Catullo di Verona Villafranca S.P.A."は1978年12月に設立された。所有権は現在、ヴェネト州 (ヴィッラフランカ・ディ・ヴェローナ、ソンマカンパーニャ)、ロンバルディア州 (ブレシア県)、トレント自治県 (第二主要株主)、トレンティーノ=アルト・アディジェ自治州/南ティロル自治州 (ボルツァーノ自治県) の州政府間で共有されている。 1990年、旅客ターミナル、エプロン、駐機場は拡大し続ける航空需要に対処するために拡張された。また、同年に開催されたFIFAワールドカップではヴェローナが開催地の1つとなったため、ヴェローナ新環状道路 (SS12) が空港に接続し市内とのアクセスを改善した。 1995年、空港は年間旅客数が100万人を突破した。1999年、空港は"チャーター交通の特別分類" (Special Classification of Charter Traffic) でイタリアの2級空港になり、ミラノ・マルペンサ空港、ローマ・フィウミチーノ空港に次ぐランクとなった。 1992年に勃発したボスニア・ヘルツェゴビナ紛争ではヴィッラフランカ空港がNATO軍の戦闘機の集結地となった[1]。 旅客数は2001年に年間200万人、2006年に年間300万人を突破するなど増加を続けている。このような需要の増加に応えて、空港はそのサービスと施設の上で重要な拡大プログラムを開始した。2006年5月、既存の第1ターミナルの横に新しい第2ターミナルが完成し空港の収容人数が倍増した。第1ターミナルは出発ターミナル、第2ターミナルは到着ターミナルとして使用されている。 2011年に記録された年間旅客数3,385,794人の記録はそのまま増加し続けた。しかし、2012年に欧州連合がライアンエアーへの高額の補助金に対する調査を行いライアンエアーが撤退したため2013年は旅客数が減少しており、その後も上昇に転じているが2015年に再度減少している[2][3]。 2015年、ライアンエアーはパレルモ、ロンドン/スタンステッド、ブリュッセルへの定期便で再参入した。
歴史
初期史
1990年代と2000年代
2010年代
Size:44 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef