この項目では、ハンガリー語圏の慣習に従い、名前を姓名順で表記していますが、印欧語族風にシャーンドル・ヴェレシュと表記することもあります。
ヴェレシュ・シャーンドル
基本情報
生誕 (1907-02-01) 1907年2月1日 クルジュ=ナポカ
出身地 ハンガリー
死没 (1992-03-04) 1992年3月4日(85歳没)
学歴フランツ・リスト音楽院
ジャンルクラシック音楽
職業作曲家、民族音楽学者
ヴェレシュ・シャーンドル(Veress Sandor [?vere??????ndor], 1907年2月1日 - 1992年3月4日)は、ハンガリー出身で、スイス在住であった作曲家[1]、民族音楽学者。
目次
1 略歴
2 代表的作品
2.1 管弦楽作品
2.2 協奏的作品
2.3 室内楽作品
2.4 器楽作品
2.5 ピアノ作品
2.6 声楽作品
2.7 合唱作品
2.8 バレエ
3 関連項目
4 脚注
5 外部リンク
略歴
現ルーマニア領のトランシルヴァニア地方クルジュ=ナポカ(ハンガリー語:コロジュヴァール)生まれ。
1923年からブダペストのフランツ・リスト音楽院でピアノをバルトークに、作曲をコダーイに師事。
1929年よりブダペスト民俗学博物館でライタ・ラースローの助手となり、1930年からモルドヴァ地方のハンガリー人の一派、(チャーンゴー人)の音楽を採集。
1931年、弦楽四重奏曲第1番を発表し、作曲家として活動を始める。
1937年よりブダペストの民族音楽研究所でバルトークの助手を務める。
1940年、日本政府から「皇紀2600年祝典音楽」の依頼を受け、交響曲第1番を作曲。
1943年からリスト・フェレンツ音楽大学で作曲科教授。リゲティ、クルターグらを教える。
1949年、ハンガリー当局による現代音楽作曲家への弾圧を避けスイスに亡命。
1950年、ベルン音楽院において作曲、音楽理論を教える。ヴェレシュが育てたスイスの作曲家には、ハインツ・ホリガー(オーボエ奏者として著名)、ハインツ・マルティ
後年スイスに亡命したことで、当時のハンガリー社会主義政権によって演奏が禁じられ、半ば忘れられていたが、近年、教え子のハインツ・ホリガーやハンガリーのピアニスト、シフ・アンドラーシュらがヴェレシュ作品を取り上げ、バルトーク・ベーラと、リゲティ・ジェルジュやクルターグ・ジェルジュらをつなぐ重要な存在として再評価されるようになった。現代的手法とハンガリーの音楽的伝統を結合させ、洗練された旋律と清澄な表現が特徴的。教育者としても知られる。
管弦楽作品
室内オーケストラのためのバレエ組曲『魔法の笛』(1937年)
『ムジカ・ウンガレスカ』(1938年)
交響曲第1番(1940年) - 「皇紀2600年記念式典」のため日本政府から委嘱。
弦楽合奏のための『トランシルヴァニアの四つの踊り』(1944年、1949年)
『ベラ・バルトークの思い出に捧げる哀歌』(1945年)
『レス・プブリカ序曲』(1948年)
管弦楽のためのソナタ(1953年)
交響曲第2番『ミネアポリターナ』(1953年)