ヴェルノン
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Vernon


行政
フランス
地域圏 (Region)ノルマンディー地域圏
(departement)ウール県
(arrondissement)エヴルー郡
小郡 (canton)小郡庁所在地
INSEEコード27681
郵便番号27200
市長任期)フィリップ・ンギュイヤン・タン
2008年 - 2014年
自治体間連合 (fr)fr:Communaute d'agglomeration des Portes de l'Eure
人口動態
人口26,590人
2007年
人口密度761人/km2
住民の呼称Vernonnais
地理
座標北緯49度05分33秒 東経1度29分09秒 / 北緯49.0925度 東経1.48583333333度 / 49.0925; 1.48583333333座標: 北緯49度05分33秒 東経1度29分09秒 / 北緯49.0925度 東経1.48583333333度 / 49.0925; 1.48583333333
標高最低:10m
最高:148m
面積34.92km2 (3 492ha)
Vernon
公式サイト ⇒www.vernon27.fr
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ヴェルノン (Vernon)は、フランスノルマンディー地域圏ウール県コミューン。ノルマンディーへの入口に位置し、エヴルーボーヴェ間、パリルーアン間の道路が交差する。
目次

1 地理

2 語源

3 歴史

3.1 年表


4 史跡

5 人口統計

6 交通

7 出身者

8 姉妹都市

9 脚注

地理

ヴェルノンはセーヌ川の渓谷内、エプト川との合流地点にある。ヴェルノンはサン=マルセル、サン=ジュスト、サン=ピエール=ドティルの3コミューンとともに人口36,000人の都市圏を形成する。コミューン面積は比較的広く、川の両側に均等に伸びている。
語源

1027年から1031年まではde Vernum、1029年から1035年までVernonensi、1053年にはde Vernonoと記された。

語尾の-mはケルト語源の可能性がある。平原を意味する-magoである。普通名詞のdunonである可能性は低い。他に存在するvernonの地名と同じく、ケルトの接尾辞-oに基づいた構成も可能である。そうなると1027年から1031年までの名称は除外される。最初の要素Vern-はガリア語である。-uernoはハンノキ属を意味する。従って、ヴェルノンは拡大解釈すれば『ハンノキの平野』または『湿地のある平野』ということになる。これは当時のヴェルノンの地理的状況を表していた。排水が行われ木の一部がポプラに入れ替えられるまでは、周囲の平地は数多くのハンノキが自生し沼地が存在していた。
歴史

ガリア系のヴェリオカス族(frヴェクサンの語源となった)の重要なオッピドゥムは現在のヴェルノンの地にはなかった。しかしセーヌ右岸のヴェルノネの岩の露頭には人が定住した。その面積は78ヘクタールであった。考古学の発掘調査によって、定住地を囲む壁の建設が3度行われたことがわかった。ガリア人の壁(fr)2種はフェカンに築かれた通称『ベルギー様式』と同じである。この場所は明らかに紀元前2世紀からガロ=ローマ時代の間に占領されていた。また、ペルガモンのような、ケルトの工芸である最古の鎖帷子の断片が発見されている[1]
年表

750年 -
ピピン3世(小ピピン)時代、都市として初めて名前に言及される

845年 - ヴァイキング襲来

911年 - シャルル3世ロロの協定によって、ヴェルノンは国境のまちとなる。

1123年 - アンリ1世・ド・ボークレール、城の塔を建設

1195年 - フィリップ2世、ヴェルノンを占領。リチャード獅子心王、ヴェルノンをカペー朝へ割譲

1204年 - ヴェルノン城建設

1346年 - エドワード3世、ヴェルノンに火を放ち荒廃させる

1415年 - ヘンリー5世、ヴェルノンを占領

1449年 - フランス側が勝利し、ヴェルノンはフランスに復帰する

1596年 - アンリ4世、ビジー城に滞在

1721年 - マレシャルのルイ・フーケ(ニコラ・フーケの弟)、ヴェルノン領主となる

1788年 - パンティエーヴル公ルイ・ジャン・マリー・ド・ブルボン、ヴェルノン領主となる

1792年 - オルレアン公爵夫人ルイーズ・マリー・ド・ブルボン=パンティエーヴルら、ビジー城へ移住

1817年 - オルレアン公爵夫人ルイーズ・マリー、フランス革命中に売却した資産の見返りとして、ビジー城の所有権を獲得

1843年 - パリ-ル・アーヴル間を結ぶ鉄道路線開通

史跡

ル・ヴィユー=ムーラン - 16世紀に建てられた木造の製粉所で、中世に建設された石橋の上にある。ヴェルノンのシンボル

アルシーヴ塔 - アンリ1世・ド・ボークレールが建設したヴェルノン城の一部。

ビジー城 - かつてはオルレアン家が所有。1858年に
ナポレオン3世によって没収された。

ブレクール城

トゥールユ城 - 20mの塔4本からなる中世のダンジョン

ノートルダム参事会教会 - ゴシック様式


アルシーヴ塔

ノートルダム参事会教会

トゥールユ城

ビジー城

ル・ヴィユー=ムーラン

人口統計

1962年1968年1975年1982年1990年1999年2006年
17247188722242222243236592406324018

参照元:1962年まではEHESSを元としたCassini[2]1968年以降INSEE[3] · [4] · [5]
交通

道路 -
A13

鉄道 - パリ=サン=ラザール - ル・アーブル線のヴェルノン駅

バス - Transcapeという市内バス路線

出身者

モラ・ワゲ:サッカー選手

トンゴ・ドゥンビア:サッカー選手

ウスマン・デンベレ:サッカー選手

カール・ラング:政治家

姉妹都市

マッサイタリア

バート・キッシンゲン、ドイツ

脚注^ Venceslas Kruta, Les Celtes : histoire et dictionnaire, Bouquins Robert Laffont, Paris, 2000.
^≪ Notice communale de Vernon ≫, sur la base Cassini (consulte le 1er janvier 2012)


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