ヴェルネル・フォン・ヘイデンスタム
Verner von Heidenstam
ヘイデンスタム(1915年)
誕生Carl Gustaf Verner von Heidenstam
(1859-07-06) 1859年7月6日
スウェーデン・エレブルー県オルシャマル
ノーベル賞受賞者
受賞年:1916年
受賞部門:ノーベル文学賞
受賞理由:我々の文学における新時代を率先的に代表する者としての重要性を認めて
20歳のヘイデンスタムユーハン・クラウセン(英語版)によって描かれたヘイデンスタム(1931年)ヘイデンスタムの墓
カール・グスタフ・ヴェルネル・フォン・ヘイデンスタム[注釈 1](スウェーデン語:Carl Gustaf Verner von Heidenstam、1859年7月6日 - 1940年5月20日)は、スウェーデン・エレブルー県オルシャマル(英語版)出身の作家、詩人、小説家。
1912年からはスウェーデン・アカデミーの会員に選出され、1916年にセルマ・ラーゲルレーヴに次いでスウェーデン人二人目となるノーベル文学賞を受賞したとして知られる[注釈 2][注釈 3]。また、ヘイデンスタムが母国スウェーデンを謳った詩『スウェーデン (詩)(スウェーデン語版)』は同国の作曲家ヴィルヘルム・ステーンハンマルが曲をつけてスウェーデンの第二国歌の歌詞として使用されている[1]。
ヘイデンスタムの作品の多くはスウェーデンの人物、生活、伝統などを、時に愛国的な視点から情熱的に描いたものが多く、1888年に著した処女作『巡礼と放浪の歳月(スウェーデン語版)』[注釈 4]は南ヨーロッパや近東を旅行をもとに書かれたもので、自然主義文学に対抗して新ロマン主義の旋風を巻き起こした著作として[2]名高い。 1859年7月6日、スウェーデン・エレブルー県のオルシャマルに、エンジニアで貴族階級出身だった父グスタフ・フォン・ヘイデンスタムと母マグダレーナ(Magdalena Charlotta Rutterskjold)のもとに生まれる。ヘイデンスタムの先祖にはかつてスウェーデン王の侍医を務めていたピーター・フォン・ヘイデンスタムがおり、ヘイデンスタムも代々貴族階級の家系としてヴェッテルン湖付近にあった荘園で育った[1]。少年時代は首都ストックホルムの学校に通い、優秀な成績を修めていたが病弱であったため17歳で学校を退学し、その後は療養も兼ねて南ヨーロッパや近東などを旅行した[2][3]。旅行中に最初の妻エミリア(Emilia Uggla)と結婚し、画家を志してフランスのパリで彫刻家・画家のジャン=レオン・ジェロームの門下となり学んでいたが[4]、スイスでヨハン・アウグスト・ストリンドベリとの出会いをきっかけに作家を目指すようになった[2]。
生涯
次いで1889年にはシリアを舞台にした小説『エンデュミオン (ヘイデンスタムの小説)(スウェーデン語版)』を著し、また同年にルネサンスを論じた評論『ルネッサンス(Renassans)』を著して新理想主義をテーマに掲げたが[3]、1892年に刊行された自伝的小説『ハンス・アリエーヌス(スウェーデン語版)』などを経て、いつしか故郷スウェーデンを愛する詩人に移り変わっていった。