『ヴェルジーのジェンマ』 (Gemma di Vergy) は、ガエターノ・ドニゼッティが作曲し、1834年12月26日にミラノのスカラ座で初演された、2幕のドラジェディア・リリカである。
台本はジョヴァンニ・エマヌエーレ・ピデーラ、原作はアレクサンドル・デュマ・ペールの戯曲『シャルル7世とその重臣たち』(Charles VII chez ses grands vassaux)。なお、同じ原作を利用し、1896年にロシアの作曲家ツェーザリ・キュイがオペラ『サラセン』を作曲している[1])。
不妊症を理由に夫から離婚を宣告された伯爵夫人ジェンマとその夫ヴェルジー伯、そして密かにジェンマを愛するサラセン人の従僕タマスが織りなす愛憎劇に仕上がっている。 役柄及び初演のキャストは、以下の表の通りである。 役柄声種キャスト
役柄及び上演史
ヴェルジー伯爵バリトンオラツィオ・カルタジェノーヴァ
ジェンマ, 不妊症に悩むその妻ソプラノジュゼッピーナ・ロンツィ=デ・ベニス
イーダ, 伯爵の新しい妻メゾソプラノフェリシタ・バイルー・イラール
タマス, サラセン人の若者で、ジェンマの従僕テノールドメニコ・レイナ
グイード, 伯爵のお気に入りの部下バスイグナシオ・マリーニ
ロランド, 伯爵の射手バスドメニコ・スピアージ
騎士たち、射手、若い娘たち、兵士たち
初演でジェンマを演じたロンツィ=デ・ベニスは、1830年代におけるドニゼッティお気に入りのプリマドンナであった[2]。ドニゼッティは、ロンツィのために本作を含む3つの作品(1832年の『ファウスタ』、1834年の『マリーア・ストゥアルダ』並びに1837年の『ロベルト・デヴェリュー』)を作曲している。初演を鑑賞した若きヴェルディが確信した通り、大成功を収め、スカラ座において26回連続上演が行われた。 (出典[7])
19世紀までの上演状況
本作品は、1860年代まで頻繁に上演がなされた[2]。1837年3月4日までナポリ、サンカルロ劇場では上演はされていなかったが、上演されるやいなや大ヒットとなり、1848年まで上演が継続されることとなった[3]。イタリア以外の国では、1842年3月12日にロンドン初演が行われたことを皮切りにパリ、リスボン、サンクトペテルブルク、ウィーン、バルセロナと順次上演がなされた。ヨーロッパ以外では、1843年10月2日にニューヨークで上演された他、アルジェ、ブエノスアイレス、メキシコシティ、トリニダード、ハバナでも上演がなされた。1848年1月のパレルモでの上演では、タマスが第1幕に歌うアリア「燃える太陽を俺から奪い」(Mi toglieste a un sole ardente)が観客の拍手喝采で迎えられ、ジェンマ役のプリマドンナが三色旗に身を包んで現れた。この出来事は、その翌月にフランスで発生する2月革命の影響で発生することになる、カルボナリの暴動の前兆となった[4]。
20世紀から21世紀現在にかけての上演状況
19世紀において、本作品はドニゼッティのオペラ作品の中で最も人気がある作品であった。しかし、ヴェリズモの隆盛が始まった19世紀最後の20年間を通じて上演が激減し、1901年にエンポリでの上演を最後に歌劇場のレパートリーから消えていった。上演が再開されたのは、1970年代になってからである。1975年12月にナポリのサンカルロ歌劇場において行われた復活上演では、ジェンマをモンセラート・カバリェが歌った。カバリェは、翌1976年にはバルセロナのリセウ大劇場、同年3月にはニューヨーク、カーネギーホールにおいても本作を歌っている。また、カバリェの上演は全曲録音が残されたほかにアリアのいくつかが録音され、レコード化やCD化がなされている[5]。しかし、カバリェは声への過重の負担を理由にジェンマ役を後のレパートリーから外している[6]。このため、21世紀の現在においても本作は、上演が稀な作品となっている。近年では、2007年にドニゼッティの故郷ベルガモにおけるドニゼッティ音楽祭での上演がある。また、2011年にも同じベルガモで行われた上演はDVDとして発売されている(後述)。
楽曲構成