ヴェッツラー
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紋章地図
(郡の位置)

基本情報
連邦州:ヘッセン州
行政管区:ギーセン行政管区
郡:ラーン=ディル郡
緯度経度:.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯50度33分28秒 東経08度30分16秒 / 北緯50.55778度 東経8.50444度 / 50.55778; 8.50444座標: 北緯50度33分28秒 東経08度30分16秒 / 北緯50.55778度 東経8.50444度 / 50.55778; 8.50444
標高:海抜 156 m
面積:75.65 km2
人口:

52,969人(2021年12月31日現在)[1]
人口密度:700 人/km2
郵便番号:35576 - 35586
市外局番:06441, 0641, 06446
ナンバープレート:LDK, DIL, WZ
自治体コード:

06 5 32 023
行政庁舎の住所:Ernst-Leitz-Strase 30
35578 Wetzlar
ウェブサイト:www.wetzlar.de
首長:マンフレート・ヴァーグナー (Manfred Wagner)
郡内の位置

地図

ヴェッツラー・コルンマルクトの木組み建築群

ヴェッツラー(ドイツ語: Wetzlar, [?v?t?slar][2])は、ドイツ連邦共和国ヘッセン州ギーセン行政管区ラーン=ディル郡の市である。ヘッセン州中部のこの都市は、かつての帝国都市であり、帝国最高法院(ドイツ語版、英語版)の最後の所在地であった。この街は現在、ラーン=ディル郡の郡庁所在地であり、ヘッセン州に7つある特別市[訳注 1]の一つである。これは、郡の機能と同時に郡独立市の多くの機能を有する都市である。大学を有するこの街は、重要な文化・工業・商業の中心都市として、ヘッセン州で10都市の上級中心都市[訳注 2] の一つになっている。

ヴェッツラーとギーセンは、人口約20万人(その周辺部を含めた地域圏全体の人口は約32万人に達する)のヘッセン中部人口集中地域の二大中心都市である。近隣のライン=マイン地方とは緊密な関係にある。

ヴェッツラーの光学精密機械電子工学金属加工産業は国際的な評価を受けている[3]。ヴェッツラーは、重要なスポーツ指導者、スポーツ選手、スポーツクラブで知られるスポーツ都市でもある。様々なブンデスリーガでチャンピオンを輩出している。スポーツ奨励のために、多くの全国的なトレーニングセンターや拠点が存在している[4][5][6]。市域は、ディル川ラーン川とが合流する高台に位置している。
地理ヴェッツラー近郊のラーン川
位置

ヴェッツラーはヘッセン中部のラーン=ディル地方、高度 148 m から 402 m のラーン川沿いに位置している。ラーン川はヴェッツラーを過ぎた直後に、南から西にその進路を変える。市域は、そのほとんどが丘陵地や高台となっているラーン川両岸に広がっている。この街はヘッセンの中低山地の境界に位置している。ラーン川の南岸はタウヌス山地、ラーン川北岸のディル川西岸からヴェストヴァルト(ドイツ語版、英語版)が始まり、ラーン川北岸のディル川東岸はロタール山地に属す。市内の最高地点は 402 m のシュトッペルベルク、最低地点は 148 m のラーン川である。

最寄りの大きな都市は、北西 50 km にジーゲン、30 km にディレンブルク、北東 40 km にマールブルク、東にギーセン(ラーン川沿いに中心部から中心部まで約 12 km)、南 60 km にフランクフルト・アム・マイン、西 80 km にコブレンツ、ラーン川を 40 km 下った位置にリムブルク・アン・デア・ラーンがある。

ラーン川の谷(東と西)やディル川の谷(北)には、密集した隣接市町村が位置しており、一部はヴェッツラーの市街地と一体化している。市の北西、北東、南を取り巻く中低山地は森が豊かで、住人は少ない。
地質学

ヴェッツラーはライン・シーファー山地(ドイツ語版、英語版)の東端に位置している。その地盤は地質学的には新しいラーン川の堆積物、古いシーファー山地の2つの主要な地層をなすデボン紀および石炭紀の岩塊、ラーン盆地と南東部のいわゆるギーセン層で構成されている。市域の北西部は、ラーンタールの脆いシルト、砂、礫で支えられている。これはラーン川によって堆積されたものである。ラーン川の谷は、ここまで 1km 近くの広い谷であるが、西に向かうにつれ徐々に狭く、ますます深くなっている。市の主要部は、一部が褶曲し、断層が生じ、へき開した粘板岩砂岩珪岩石灰岩で形成されている。これらはデボン紀および石炭紀に、列島火山環礁を特徴とする海洋であったが、バリスカン造山運動によって褶曲し、造山学的ナップ(ドイツ語版、英語版)によって覆われたものである[7]。この海洋性堆積物から造られた岩層は、様々な建築資材という形で、街の景観に再び現れている。ヴェッツラーの市区図
隣接する市町村

ヴェッツラーは、北西はアスラー、北および北東はホーエンアール(ともにラーン=ディル郡)およびビーバータールギーセン郡)、東はラーナウ(ラーン=ディル郡)とホイヒェルハイム・アン・デア・ラーンおよびギーセン(ともにギーセン郡)、南はヒュッテンベルクおよびシェッフェングルント、西はゾルムス(いずれもラーン=ディル郡)と境を接している。
市の構成

人口31,107人の古い中核市部は、12の都市管区に細分される: アルトシュタット(旧市街)、ノイシュタット(新市街)、ハウザーベルク、ビュプリングスハウゼン、シュトゥルツコプフ、シュトッペルベルガー・ホール、ナウボルナー・シュトラーセ、ジルヘーファー・アウエ/ヴェストエント、アルテンベルガー・シュトラーセ、ダルハイム、ディルフェルト、ニーダーギルメスである。ニーダーギルメスは人口6,000人を超える最大の都市管区である[8]

このほかに8つの市区がある。これらは1979年にラーン市が廃止された際にヴェッツラー市に編入された旧町村であるが、ブラスバッハ、ドゥーテンホーフェン、ミュンヒホルツハウゼンはすでに長らく本市と結びついていた。中核市部東に位置するのがナウンハイム、ガルベンハイム、ミュンヒホルツハウゼン、ドゥーテンホーフェンである。ナウボルンは中核市部の南、シュタインドルフは中核市部の西に連なっている。中核市部の北にはブラスバッハとヘルマンシュタインがある。

紋章市区人口(人)記事
ブラスバッハ
Blasbach946ヴェッツラー中核市区の北 6 km
1971年12月31日から1977年1月1日までブラスバッハはヘルマンシュタイン市区の一部であった。両者は1979年8月1日まで新設された郡独立市のラーン市に編入されていたが、この日にヴェッツラーの市区となった。
ドゥーテンホーフェン
Dutenhofen3,121ヴェッツラー中核市区の東 5.5 km
ガルベンハイムの紋章ガルベンハイム
Garbenheim2,113ヴェッツラー中核市区の北東 2.5 km
ヘルマンシュタインの紋章ヘルマンシュタイン
Hermannstein3,632ヴェッツラー中核市区の北西 3 km
歴史的名称は、ミュールハイム (Muhlheim)
ミュンヒホルツハウゼン
Munchholzhausen2,342ヴェッツラー中核市区の東 4.5 km
ナウボルンの紋章ナウボルン
Nauborn3,746ヴェッツラー中核市区の南 2.5 km
ナウハイムの紋章ナウハイム
Naunheim3,786ヴェッツラー中核市区の北東 3 km
シュタインドルフ
Steindorf1,711ヴェッツラー中核市区の西 3 km

人口はいずれも2015年12月31日現在の数値である[9]
気候

ヴェッツラーは、中緯度地方の年中穏やかな気候を示す。ただし、谷のコースや高度の違いなどによって、市内小地域間で気候は異なっている。夏の平均気温は 17 から 18 ℃、冬のそれは 1 から 2 ℃である。平均年間降水量は 600 から 700 mm であり、ドイツの平均よりもやや少ない。ラーンタールの南および北の高台ではドイツ平均値と同程度の 800 mm の降水がある。最も降水量の多い月は6月と12月でそれぞれ 74 mm、73.3 mm である。最も少ない月は2月で 49.1 mm である。

ヴェッツラーの気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
平均最高気温 °C (°F)3
(37)4
(39)10
(50)14
(57)19
(66)22
(72)24
(75)24
(75)20
(68)14
(57)8
(46)4
(39)13.8
(56.8)
平均最低気温 °C (°F)?2
(28)?2
(28)1
(34)4
(39)8
(46)11
(52)13
(55)12
(54)9
(48)5
(41)2
(36)?2
(28)4.9
(40.8)
降水量 mm (inch)57
(2.24)49
(1.93)58
(2.28)53
(2.09)70
(2.76)74
(2.91)62
(2.44)66
(2.6)53
(2.09)56
(2.2)67
(2.64)73
(2.87)738
(29.05)
平均降雨日数1088910101010881010111
平均日照時間1346777656114.5
出典:sonnenlaender.de [10]

歴史
先史時代、古代、中世初期および盛期

すでに旧石器時代からヴェッツラー地域では定住がなされており、ダルハイム市区付近にも定住地があった(ダルハイム廃村、ヴァーネンドルフ廃村)。気候の良い場所であったため、約5万年前のヴュルム氷期(ドイツ語版、英語版)にも人々はこの地に留まった[11]

ヴェッツラー=ダルハイムのラーン川沿いにおける近年の大規模な発掘調査で、7,500年から7,000年前の線帯文土器文化の大規模な定住跡が発見された[12]。この他に、この近辺ではゲルマン人由来の定住地が発見されている。その一部は紀元前後の時代に設けられ、およそ1400年の間定住が続けられていた。ヴェッツラー市内にはさらにケルト人の集落も存在していた。

ケルトのラ=テーヌ時代にはすでに、ヴェッツラー周辺で鉄鉱石の採掘・精錬[13]が行われていたことが証明されている[14]。鉄加工業はこの地で約2500年の伝統を有している。

東の市境に接するヴァルトギルメスにはローマの民間人集落があった(フォルム・ラーナウ=ヴァルトギルメス)。ドルラーには紀元後1世紀に建設されたローマ軍基地があった。

ヴェッツラーという地名は、語尾の -lar から判断して、おそらく3世紀までに成立した[15]。本市の存在が証明されるのは8世紀以降である。

ヴェッツラーが市場開催権やこれに伴う市場税徴収権を獲得した時期は不明である。やがて、後にマリエン修道院が築かれドームヒューゲル(聖堂の丘)と呼ばれることになる丘に、市場町が建設された。これが商人や職人を惹きつける求心力となった。897年以前の最初の教会建設まで、ここはおそらく敬虔なキリスト教徒たちの集まる場所であった。カルスムント城趾

旧カルスムント城: カール・メッツによれば[16]、この城(城砦および城館)は早くもローマ時代初期に創建されたと推測される。ツェドラーによれば[17][18]、すでに存在していた都市の統治をより良好に行うために、カール大帝785年頃にこの城館を建設した。このためこの城は、Carols Mons (Carlmund または Carlmont) と名付けられた。現代語では以下の意味となる: Kals- = Karls(「カールの」)、-munt = Vasall(「家臣」)、すなわち「フランク王国封臣」である。他に古ゲルマン語やケルト語に語源を求める説もある。たとえば、「Kalsmunt という名称はケルト語由来であり、「不毛の丘」を意味している」として、「実りの乏しい丘陵地」を示すというものである。カルスムント城では、ヴェッツラー向けの硬貨が鋳造された。

古い文献記録としては、インゴルトという人物の832年ロルシュ修道院への寄進状がロルシュ文書(ドイツ語版、英語版)(Nr. 3146)にある[19]

ヴェッテラウ(ドイツ語版、英語版)の904年からロトリンゲン公となったコンラーディナー家のゲープハルト(ドイツ語版、英語版)が、897年にサルヴァトール教会(救世主教会)を聖別したというのが最も古い建築に関する記録である。彼はヴェッツラーに聖マリア修道院を建設し、そこに葬られた[20]10世紀の初めに、ゲープハルトの息子で後のシュヴァーベン公ヘルマン1世とヴェッテラウの伯ウード1世によってマリエン修道院教会(現在のヴェッツラー聖堂)が創建された。1655年のマテウス・メーリアンの銅版画に描かれたヴェッツラー
中世後期、帝国都市、帝国最高法院

ホーエンシュタウフェン朝皇帝フリードリヒ1世バルバロッサは、ヴェッツラー地域に帝国フォークト(代官区)を設け、ヴェッツラー市民をフランクフルト市民と同等に位置づけた。同時にヴェッツラーは帝国都市となり、その地位は1803年まで保持された。都市を護り、帝国の土地であるヴェッテラウを保護するために彼は、ヴェッツラーの高台に帝国城砦カルスムントを増築した。ヴェッツラー近郊でラーン川を渡る交易路、鉄鉱石採掘、毛織物、皮革加工業が都市発展の基盤になったと考えられる。

1277年7月9日付の皇帝の文書に初めてヴェッツラーのユダヤ人に関する記述がなされている。ドイツ騎士団は、1285年から1809年までこの街に館を構えていた[21]


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