ヴェスレイ・スナイデル
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ウェスリー・スナイダー

ヴェスレイ・スナイデル

ガラタサライSK時代 (2014年)
名前
本名ヴェスレイ・ベンヤミン・スナイデル
Wesley Benjamin Sneijder
愛称ウェズ
ラテン文字Wesley Sneijder
基本情報
国籍 オランダ
生年月日 (1984-06-09) 1984年6月9日(39歳)
出身地ユトレヒト
身長170cm
体重72kg
選手情報
ポジションMF (OH / CH)
利き足右足
ユース
1991-2002 アヤックス
クラブ1
年クラブ出場(得点)
2002-2007 アヤックス 126 (43)
2007-2009 レアル・マドリード 52 (11)
2009-2013 インテル・ミラノ 76 (13)
2013-2017 ガラタサライ 124 (35)
2017-2018 ニース 5 (0)
2018-2019 アル・ガラファ 22 (15)
通算405 (117)
代表歴
2000-2001 オランダ U-176 (2)
2001-2002 オランダ U-198 (3)
2003 オランダ U-211 (0)
2003-2018 オランダ134 (31)

獲得メダル

男子サッカー
 オランダ
FIFAワールドカップ
2010 南アフリカ
2014 ブラジル
UEFA EURO
2004 ポルトガル


1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ヴェスレイ・ベンヤミン・スナイデル(Wesley Benjamin Sneijder (オランダ語発音: [???s.li ?sn?i?.d?r] ( 音声ファイル)), 1984年6月9日 - )は、オランダユトレヒト出身の元サッカー選手。元オランダ代表。現役時代のポジションはミッドフィールダー

サッカー関係者からしばしば「幻のバロンドーラー」と称される[1]

所属した異なるリーグの4チームで、リーグ戦、カップ戦での優勝を経験している攻撃的ミッドフィールダー。インテル・ミラノ時代の2009-10シーズンにはインテルの中心選手としてUEFAチャンピオンズリーグ優勝を含む3冠達成に貢献。オランダ代表では同国代表最多出場記録の保持者であり、2010 FIFAワールドカップでは大会最多タイとなる5得点を挙げオランダの準優勝に貢献した。
経歴
クラブ
生い立ち?アヤックス

ユトレヒトで祖父、父もプロ選手であったというサッカー一家に生まれた。兄(ジェフレイ)、弟(ロドニー)と共にサッカー選手を志し、1992年にアマチュアのDOSというクラブからアヤックスの下部組織に入団。

2002-03シーズン、2002年12月22日のエクセルシオール戦にてトップチームデビューを果たす。同シーズンはリーグ、カップ計23試合に出場し5ゴールという活躍を見せた。

2003-04シーズン、その卓越したパススキルを存分に発揮しセンターハーフのレギュラーに定着。シーズン計38試合出場、10ゴールを挙げリーグ制覇に貢献し、同シーズンのヨハン・クライフ賞を受賞。2004-05、2005-06シーズンは司令塔としてアヤックスを支えたものの、ライバルであるPSVフース・ヒディンクの下で全盛期を迎えており、クラブレベルでの特筆した成果を収めることが出来なかった。2006-07シーズン、クラブで背番号10番を与えられると、卓越したパスセンスに加えゴールを狙う積極性が増し、FKやミドルシュートでゴールを量産。リーグで18得点という成績を残した。
レアル・マドリード

2007年8月12日、同じスペインバレンシアCFとの獲得レースを制したレアル・マドリードへ加入[2]。移籍金は2700万ユーロとされ、背番号はデビッド・ベッカムの着けていた23番に決まった。2007-08シーズン、開幕戦となったアトレティコ・マドリードとのマドリード・ダービーでリーガデビューを果たすと、続くビジャレアル戦で2得点、UDアルメリア戦で1得点を挙げ、その後も中心選手として活躍し、レアル・マドリードのリーグ2連覇に貢献した。2008-09シーズンは背番号10番を与えられたが、負傷の影響、更にはリハビリや通院と称してオランダのテレビタレントの女性と不倫を重ねていたことが発覚[3]離婚慰謝料を求められ裁判沙汰になるなどして活躍できず結果を残すことは出来なかった[4]
インテル・ミラノ

本人は残留を希望するも、レアル・マドリードが2009年夏の移籍市場にて大型補強を行ったことにより放出候補となり、2009年8月28日、半ば追い出されるような形でイタリアインテルへ移籍した[5]。移籍金は1500万ユーロ(約20億円)、年俸400万ユーロの4年契約とされている。加入から2日でミラノダービーに先発出場し、加入したばかりとは思えないパフォーマンスを見せ、インテルの大勝に貢献。10月3日に行われたウディネーゼ戦で後半ロスタイムにチームを救うセリエA初得点を挙げた。その後も中心選手として活躍し、インテルの史上3度目となるセリエA5連覇、また、イタリア史上初の主要タイトル3冠達成に大きく貢献した。シーズン終了後、UEFA最優秀MFに選出された。インテルでの3冠獲得と後述のワールドカップでの活躍から2010年のFIFAバロンドールの最有力候補と考えられていたが、2010年12月7日に発表された最終候補3人から外れ、物議を醸した[6][7]。結局、スナイデルはベストイレブンに選出されるにとどまった。その後は負傷や監督交代などの影響で不振に陥った。
ガラタサライ

2013年1月、ガラタサライSKへの移籍に合意。


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